于宙さんは迫害されて死亡、妻の許那さんは3年の刑罰を下された
(明慧日本)中国共産党当局は2008年2月6日(おおみそか)に法輪功修煉者の于宙さんを迫害して死に至らせた後、于宙さんの妻・許那さんを迫害している。2008年11月25日午前9時、北京市崇文区裁判所は法廷で10数分の間に、許那さんに対して不法に3年の刑罰を下した。許那さんは当廷で上訴することを要求した。
許那さんの弁護士・程海さんは7月の崇文区裁判所の法廷で審判の時、かつて許那さんのために無罪の弁護を行った。事実の根拠と法律的拠り所がすべて成立しない情況の下で、司法官、北京崇文区裁判所の副裁判長の馬宇(音)はいつも避けたり逃げたりして、正面から回答しなかった。今回の開廷に、弁護士の程海さんは出廷することができなかった。程弁護士は、この判決が公正でなく、今後も許那さんの上訴に協力すると取材メディアの記者に表していた。程弁護士は、「法輪功は中国で不法の定義がない。中国の法律と弁護士界の努力に基づいて、いずれ、(中国の当局)法輪功の中国での合法的な地位が承認されることを信じている」。
于宙さんが迫害され死亡して以来、特にオリンピックの間、北京市海淀区の610弁公室、町内、派出所人員はいつも許那さんの両親の家までかき乱して、許那さんの家族に外国の記者に話すことや、連絡することを許さないと脅した。中国共産党の人員は数日前に于宙さんの家族に遺体「処理」をすることを知らせ、その上解剖が必要で、合わせて許那さんに委托書を書かせせ、于宙さんの家族に全権代理で于宙さんの遺体「処理」を頼んだ。
聞くところによると、2008年11月25日午前、崇文区裁判所は再度開廷して不法に許那さんを審判した、判決の結果はすでに出しており、法廷でただ読み上げるだけであった。
許那さんは吉林省長春で生まれ、全家族すべて美術に従事している、父は文聯の画家で、母は吉林美術学院の教師、人となりは正直で温厚で、品行好く教養が高い。許那さんの作品は1998年に中国青年油絵展で受賞した、彼女の絵は内陸と香港ですべてとても有名である。許那さんの夫・于宙さんは東北の同郷人で、琴棋書画、多芸多才で、詩と詞に対してもとても才能があり、有名な民謡の楽団「小娟と山谷の住民」のドラマー。 于宙さんと許那さんはお似合いで、生活は幸せで円満であった。法輪功の真善忍の原則によって自分を要求し、身の回りのすべての人にやさしい心で対応した。
2001年、許那さんは自分の宿泊所を北京に来た法輪功の友達に貸したため、中国共産党に不法に5年の刑罰を下された。許那さんは5年間不法に拘禁され迫害された後に、2006年に家に帰った。2008年1月26日晩10時頃、于宙さんは公演が終わった後に妻と運転して帰宅途中、北京市通州区北苑の楊庄区間で警官に遮り止められ、オリンピックのための捜査を行った。警官が于宙さんと許那さんが法輪功修煉者であることを発見し、2人を通州区の留置場まで連行した。
27日の午前9時過ぎ、通州北苑派出所、通州支局と香山派出所、海淀支局の4人はまず許那さんの両親の家の家財を没収したが、何も得られなかった。また許那さんの妹の家の家財を没収したが、コンピュータがないことを見て、机の上の数枚の印刷するための白紙を持って行った。2月6日のおおみそか、年はまだ42歳の于宙さんは迫害されて死に至った、留置場は許那さんが于宙さんの葬儀に参加することさえ許さなかった。それから許那さんは悪名高い北京市局の7処北京市留置場に転送された。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
2008年11月29日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/11/28/190515.html)
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