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修煉と勉強を両立させ、師父が按排された道を歩む(一)


文/大法小弟子 蓮海

(明慧日本)私は高校2年生の大法小弟子です。中国の東北地方に住んでいます。私の両親も大法修煉者です。以前、私は大法に対して偏って理解し、極端に走ってしまい、大法に悪い影響をもたらしました。問題を見つけ、内から探し、修煉の道を正しました。2年半の間私は先生からいつも叱られたり、親に悪いところを通告されたり、宿題もほとんどしませんでしたので、高校に進学できるかどうかわかりませんでしたが、その問題児の私が市の有名高校のトップになりました。

 法輪大法を得た私は、いつも自分の内から問題を探し、大法を実証することによって、自分が昇華できる道理がわかりました。私はここで、私たちに交流できる場を提供してくれる明慧ネットに携わっている人々に感謝します。またこの場を借り、慈悲で偉大な師父に最高の敬意を表わしたいのです。

 私は5歳から両親と一緒に修煉を始めました。7歳で入学し、当時は大法の勉強、煉功、人に善を与え、打たれても手を出さない、罵しられても言い返さないなどと他人のことばかり考えていました。しかし学生である自分の勉強はあまりしませんでした。

 1999年「7.20」から、中共政権による大法と大法修煉者に対し、天を覆うような流言蜚語や迫害があり、先生とクラスメートは私を修煉者として理解してくれず、私はとても圧力を感じていました。そのとき、私は法の勉強と正念を発することを重視し、大法は素晴らしいものであることをみんなに教えました。しかし学校での勉強も重要であることを悟ることができませんでした。両親が数回不法に迫害されたことに加え、両親からの注意もなかったのです。中学2年のとき、私の成績は下がっていく一方で宿題もせず、先生に叱られ、いつも両親に告げ口され、高校へ進学できないかもしれないとまで問題になりました。大法を実証することにも影響し、両親も重い問題だと感じました。というのは、親戚、友人、同級生たちは、私が大法を修煉していると知っているので、このままだと大法にきっと悪いイメージを与えることになるからです。

 両親も私のために問題点を探し、改善すべき以下の点を見つけました。

 1、大法の勉強を重視、バランスの良い時間配分をする

 現在の中国大陸の学生は勉強がとても大変で、1日の時間はほとんど学校の勉強で占められています。これは師父が求めていることではなく、正念でこのことを否定すべきだと私たちは悟りました。この問題を解決するために、この2年間、私は学校へ行く途中、放課後家に帰る途中の時間を利用して『論語』、『洪吟』を暗唱し、毎日同じように繰り返し、法もできるかぎり勉強しました。

 2、勉強に対する態度を改善

 以前、私の一家は私が大法を得て大法に同化し、この世に来た理由は修煉のためだという偏った理解でした。常人の知識を得ることに力を入れる必要はなく、名や利を軽く見て、将来、進学はどこへ行っても縁に従えば良いのだと考えました。一見、その理解は正しく見えますが、実際、師父に按排された道を歩いていないと思います。なぜならば、学生として自分の勉強を重視しないのは、会社員が自分の仕事を重視していないことと同じです。仕事中に恍惚としていると同じです。ずっとこのままで行くと主意識が弱くなり、さまざまな妨害が出てきます。本当に名利に淡泊というのは仕事がよくできる前提の下で名や利を淡泊に考えることだと思います。師父は『美術創作研究会での説法』に「みんな、大法弟子は歴史の今日で何をやってもとても重要です。昨日も言いましたが、大法弟子がやっていることを近い将来人がきっと真似をするのです」。私は師父のこの説法から、今の私は学生時期の大法弟子としての責任を感じ、未来を創立する使命を持っていることがわかり、学生の勉強は仕事と同じくきちんとやらなければなりません。

 3、執着心を取り除き、根本的に外来の妨害をなくす

私が勉強を良くできない主な原因としでは授業中に集中力が低いことにありました。その原因は自分の内にあり、外にもあります。執着心から自己を束縛し、他の空間の邪悪生命に利用され、魔難に陥ってしまいました。冷静に反省するとき、邪念を払う必要があると知っていますが、言うのは簡単ですが、本当に精神を集中し、やり遂げることは難しいと思います。宇宙の中のさまざまな物質と生命は、人間の喜怒哀楽やいろいろな意欲の執着を通して人を妨害します。根本的に外来の妨害をなくすため、自分の内を探らなければなりません。これらの執着心を取り除く過程は修煉の過程です。正法時期には邪悪生命が人の執着心を利用し、その執着を拡大して破壊作用を起こします。そのため、正念を発し、徹底的に取り除かなければいけません。

 4、修煉と勉強を両立させる

 私の家族は修煉と仕事の関係をうまくやっていませんでした。実際仕事上起きた問題は修煉と緊密に関係しており、ある執着心を取り除くために出てきたと思います。師父は『2005年サンフランシスコでの説法』に「遥か遠いところの巨大な天体にいる生命の向上は、皆さんのいる天体体系にいる生命の認識とは大きく異なっています。彼らは技能、技能の絶えぬ向上と努力という方式で境地を高めています。もちろん、彼らより一つ次元の高い神も低次元の生命がものを発明することができるかどうか、何かを創造することができるかどうかを境地の向上と関連付けたのです。境地が高まれば、その生命の智慧を開かせ、何かの成果を得たり、何かを創造したり、向上したりするようにします。向上の後、道徳が高まり、境地が高まったからこれらのことを得たのだとその生命は絶えず認識することができます」。この説法から私は、大法弟子として常人より問題に対する認識を高めるべきだと悟りました。例えば、私の智慧を開かせられるかどうかや、成績が良くなれるかどうかは全部自分の道徳が高まっているかどうかと緊密な関係があるのです。それと同時に、自分の境地が高まれば勉強の成績もきっとよくなるのです。これは師父と大法を信じることだと思います。

(続く)

2008年12月26日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/15/191641.html