日本明慧
■印刷版   

真に心を静め、学法しよう(一)


文/ハルピンの大法弟子・長安

(明慧日本)師父の法を正す進展が表の空間に突破してくるにつれ、大法と大法弟子が世間において形成した正の場も強くなり、現在、表の空間における邪悪と世間の悪人はもう悪行をしようとしてもなかなかできなくなっている。大陸各地の大法弟子はだんだんと学法グループを結成し、一緒に法を勉強するようになっている。私がいるハルピン地区の大法弟子も、自発的に近くに住んでいる同修達とたくさんの学法グループを作った。大法弟子の一員として、私は学法グループで学法をしているだけでなく、師父の加護と按配の下で他の学法グループと知り合い、そして彼らの学法と交流にも参加した。違った地域のグループとのコミュニケーションと交流を通じて、皆同じことを感じた。つまり、集団学法を回復することによって、大法弟子は一つの全体としてもっと団結し、もっと強くて揺らがないようになったと共に、邪悪が大法弟子に加えた妨害と迫害に向かい、もっと早くそして有効的に学法グループと大法弟子の全体の威力を発揮し、妨害と迫害を解体し、きれいに取り除くことができるようになった。

しかし、それと共に、心が静かになり、学法することに妨害が出てきた。例えば、学法する時に眠くなり、ひいては眠ってしまったり(ある人は本を落としたり)、精神が集中できず、読んでも何を読んだのか全然わからず、読んだ法の内容が頭に記憶にも印象にも全然残らなかったり、いつも間違って(字を間違えたり、抜けたり、付け加えたりして)読んだりしている。ほとんどの大法弟子はとても良い状態で学法しているが、上に書いた正しくない状態も多く、あるグループに見られたり、ひいては一つのグループの全員がこのような状態になっている。これは事実として存在し、個人にしても、全体にしても、このような学法を妨害する要因は一日も早く解決しなければならないのである。

私は2006年12月22日に明慧ネットで「心を静め、学法しよう」という体験文章を発表した。その文の中で、いかにして心を静めて法を学ぶかについて、理性的な考えを書いた。今は学法グループと他の地域の大法弟子から依頼され、もう一度心を静め、学法することについて話そうと思っている。次に書いた内容は、私の個人的な認識と昇華もあり、皆で一緒に交流した後に達成した共同認識と昇華もある。以前発表した「心を静め、学法しよう」の中で師父の説法を引用した。今度の文章で再び引用する内容があるが、前の理解と意味が違った。大法は異なる次元に異なる意味と異なる指導作用があり、同じ師父の説法でも、私達の今の理解と以前のと同じでないからだ。

この文を持って、あらゆる大法弟子と交流し、共に上達しよう。

一、心を静め、学法することは、他の空間においては正に正邪の大戦争である。

師父は『長春輔導員法会での説法』の中で、「常人のところでの現れが簡単であればあるほど、皆さんの見えないところでは、皆さんの修煉している境地で本当に天地を揺るがすようなすごいことです」と教えてくださった。実は私たちはどんな方法を使って法を勉強しても、できる限り心を静かにすれば、効果が必ず出てくる。例えば、通読、暗誦、書き写し、テープを聞く、ビデオを見るなど、ただ簡単な形式で、平常かつ静かな表面形式だけだが、他の空間における表現は天地を揺るがすようなすごいことであり、本当の正邪の大戦である。

 大法弟子の頭の中で形成された観念と執着(思想業力と他の空間に生まれ変わった時に形成した後天的要素も含む)、および旧勢力が大法弟子の頭と体(他の空間の体も)に押し付けた、変異して堕落した物質要素は全部生き物であるため、もし大法弟子が心を静めて学法することができれば、心身共に法の中に溶け込み、それらは解体され、きれいさっぱり取り除かれることを知っている。それで、それらは八方手を尽くし、大法弟子が学法する時、心が静かになれないように大法弟子の頭を妨害するのである。私たちは学法する時、意識がそれたり、精神が集中できなかったり、眠かったりひいては寝てしまったりするなど、最も重要な表現であり、最も厳しく、最も邪悪な妨害である。これらの妨害は直接私たちが法に対する理解の昇華と修煉のレベルの上達に影響をもたらした。私たちすべての大法弟子は本当に自分に、学法する時や最も厳しく最も邪悪な妨害に向かう時、私たちは静かになったのだろうか、と問いただすべきである。「主意識が厳しく大脳を制御すればするほど、ほかの生命が入り込めないのです。」(『転法輪』第九講)

 私たち大法は主元神を修煉するのである。私たちは学法する時、主元神が高度に集中し、そして頭がはっきりし、主元神で大脳をしっかりコントロールし、読んだ法(または学んだ法)を正々堂々と、明白に、はっきりと頭の中に反映することができれば、それはつまり最大限に心を沈めて法を学ぶことである。

「その次元の理、その文句に含まれた理が分かった時、皆さんの身体には様々な反応があります。身体が一瞬震動したと感じる人もいれば、頭のてっぺんが熱くなって急に足の裏まで貫いたと感じる人もいます。突然身体が膨らんで熱い流れのようなものを感じ、一種の感動のような感覚です。皆それぞれ感じ方は違います。その時、全体の変化が非常に大きいのですが、最大の一層の分子で構成された人間の身体の表面まで伝わってくるものはとても弱いもので、ただ一つの感覚にすぎません。 ところが、身体にある更なるミクロ的な粒子によって構成された一部分に生じた変化はかなり大きく、それは本当に換骨奪胎のような変化です。ある次元に入るには、その次元にある生命体の身体の標準及び思想の境地に到達しなければなりません。というわけで、大きな変化が起ったのです。」(『ヨーロッパ法会での講法』)

 心を静めて法を学ぶことにおいて、私たちの法に対する理解と心性の昇華に従って、修煉の境地がだんだんと上がるだけでなく、他の空間にある体もだんだんと高エネルギー物質の神体に変えられ、この境地の向上および本体の変化は、他の空間での表れは極めて強く、この上なく神聖で美しいものであり、まさに天地を揺るがすほど強力なものである。

 私たちの頭の中にある後天的な観念および執着にしても、旧勢力が私たちの頭と体に押し付けた、変異して堕落した物質要素にしても、これらはいずれも私たち自身の空間に存在している旧宇宙の要素である。それらは、私たちの大脳を妨害する時、もし私たちの主元神がはっきりと理性的に脳をコントロールし、これらを抑制、排斥し、心を静めて学法することができれば、この抑制、排斥の過程は、まさにそれらを解体する過程である。しかし、この過程の他空間における現われとは、まさに正義と邪悪の激しい戦いである。私たちが心を静めて法を学ぶときに起きた他空間での激しい正邪の戦いは、人間の肉眼では見えない。この世間においては、大法弟子が静かに学法をする状態としてしか表れない。忘れないでほしい、心をを静めて学法できるかどうかは、私たち主元神に対する最も直接的で最も厳しい試練であり、この天地を動かすような正邪の大戦において、大法弟子が最終的に勝利できるかどうかの肝心なポイントは、私たちが心を静めて学法できるかどうかによるものである。

(続く)

2008年12月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/5/191133.html