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法を実証する中で昇華する(下)(四)


文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)

(三)先頭に立って邪悪を暴露し、衆生を救い済度する環境を切り開く

2006年5月、明慧ネットで改めて修煉者の文章「当地の民衆に向けて当地の邪悪を暴露する」に対する評注が掲載されました。この事から法を実証し、衆生を救い済度して、邪悪を解体し、全体が向上することの必要を我々は悟りました。このことについて我々は幾度も交流会を開きました。しかし、明慧ネットで邪悪を暴露する地元の文章はやはり少なかったのです。

ある全市の協調責任者の交流会の時、それは我々協調責任者がよく行わなかったからだ、師父の説法がすべての弟子に説かれた以上、協調責任者が先ずよく行うようにしなければならないと我々は認識するようになりました。よく考えてみれば、私が迫害された事例は割りと典型的であり、昔それを暴露したとはいえ、まとまっていなかったのです。どうして私は師父の要求された通りにやらないのでしょうか。そこで、私は実名で自分と家族が迫害された経歴を書くことにしました。私は書く途中で、邪悪が恐れたためか、私のまだ取り除かれていない観念と人心を利用して何度も妨害しました。

例えば、半分くらい書いたところで、ある日、突然ある同修がやってきて、もう1人の同修の夫が地元の国保大隊長と食事をする時に、健康診断をやらせてから、私を監獄に戻らせるようにしたいということをその国保大隊長が言ったことを教えてくれました。その話を聞いてから、私はなんとも言えない辛さを感じました。しかし、それは一方では邪悪が暴露されるのを怖がっていて、この方法を使って止めようとしているのであり、もう一方では私にまだ取り除かれていない観念があるからだと私は分かっています。そこで、私はその同修に「それを認めてはいけません。私は最も正しいことをやっているので、誰も私を動かすことはできません。国保大隊長の悪行を暴露するのは実は彼を救うことなのです」と言いました。

私の書いた迫害を暴露する文章が発表されてから、ある日、労働教養所から戻ってきたばかりの同修が私の家に来て、自分が出所する当日に、その国保大隊長に会ったが、「戻ったら、だれかれ(私を指す)によろしく伝えてください。もう随分会っていませんから」と言われたと教えてくれました。それは邪悪を暴露するやり方が正しく、その国保大隊長の分かった一面は私が彼を救おうとしている事が分かっているのだということを師父はその同修の口を借りてヒントを与えてくださったのだと私は悟りました。後で我々協調責任者は殆ど実名で邪悪を暴露したため、邪悪を解体し、皆はとても安全でした。またこの体験を同修達に話したら、みんなは邪悪を暴露する文章をよく書くようになりました。この様な事を通して、我々の地区は法を実証し、衆生を救い済度する環境が明らかによくなってきました。

正にある同修が言ったように、協調責任者が一番よく修めているとは限りませんが、よく行なったかどうかによって、その影響力はとても大きいのです。私は心性の関をうまく乗り越えられず、圧力を感じた時に、「普通の修煉者になろう」という考えが頭に浮かんでくる事があります。しかし、よく考えてみれば、私は元々普通の修煉者ではありませんか? 人為的に協調責任者と普通の修煉者を分けられるでしょうか? 実はそのすべては皆も法を実証し、衆生を救い済度することの要求に応じて、自分の長所を生かせるように師父が段取りしてくださっておられるのではありませんか?

ある時、ある協調責任者から「協調責任者のだれそれは辞めたほうがいい、彼女はもう協調責任者の仕事に相応しくない。彼女よりだれそれの同修がもっと相応しいと思う」と言われました。私はこのように答えました。「私はこのように悟ったのですが、先ず、原則的には問題がないのに、このようにやってしまうと、しこりが生じやすいと思います。目下の協調責任者は皆法を実証し、衆生を救い済度することを行う中で自然に生まれたのであり、皆その区域の同修に認められた人なのです。それは常人の中の役員とは全然違います。あなたが相応しいと思う同修がもし自ら協調責任者の足りないところを補い、圓容すれば、もっと良いのではありませんか? そうすると、その協調責任者も大法を学習する時間も多くなってくるでしょう。それに、その同修が本当に自ら足りないところを補い、圓容すれば、きっとその区域の同修達に認められるに違いありません。そうすると、もう実際に変えなくてもよい効果を収められるのではありませんか」。

ここ数年来、私はずっと「自分が特別で、普通の同修と違う」という観念を取り除くようにしています。しかし、向かい合って真相を伝えることにおいては、やはり他の同修との差が大きいと思います。それでも、私もできるだけいろいろなチャンスを利用して真相を伝えるようにしています。

ある時、親戚の子供が大学入試に合格したので、お祝いに皆を御馳走することにしました。その親戚は私の教え子で、彼の大学時代のクラスメートも殆ど私の教え子でした。だから、真相資料を用意して、このチャンスを利用して、人を救おうと思いました。そのことを知って、妻は「また自己を実証したいからではないの?」と言いました。私は「注意してくれてありがとう。じゃ、自己を実証する心を取り除いて、純粋で清らかな心で人を救いにいきます」と答えました。「知っているの? 市の610弁公室の主任は彼の友達で、もし宴会の時に会ったらたいへんよ。気をつけたほうがいい」と妻は続けて言いました。

彼女の話を聞いてから、私はもっと分かるようになりました。実はそれも私の心配事であり、取り除かなければならない観念なのです。そこで私は、師父は「真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。肝心なのは、何かをする時の心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです」(「各地での説法 二」『2002年度ボストン法会での説法』)とおっしゃいました。「師父は必ず手伝ってくださると思います」と私は答えました。翌日、妻はレストランの場所を確認しようと思い、その親戚に電話をかけたら、昨日役所関係の友達を全部招待したから、今日は皆親戚とクラスメートを招待すると言うことを教えてくれました。確かに師父は何でもよく段取りしてくださったのです。後に宴会を利用して、私は妻ともう2人の同修と一緒に真相を伝えて、合せて28人の人が共産党組織を脱退することを認めました。

成熟した大法弟子であるなら、自分は協調役をしているから、真相を伝えに行かないとも思わないし、自分は普通の修煉者だから、協調役は協調責任者の仕事であるとも思わないと私は思います。私はつくづく感じましたが、全ての事は法を実証し、衆生を救い済度することの必要性から考えるべきであり、他の同修がうまく行えるのであれば、自分は黙々と圓容し、補うようにすればよいのです。そして、もしほかの同修がよく行わなかったら、自ら先頭に立って、自分のやるべきすべてをよく行うようにしなければなりません。そして、今までの修煉の道程を振り返ってみれば、正念を持って正しく行い、師父の御加護の下で、旧勢力の按排を否定した経験はありますが、それは法の学習を重視し、内に向けて探すようにしたからだと思います。それに対して、大法を逸れて、回り道をした教訓もありますが、それは法の学習を疎かにして、外に向かって求めたからだと思います。

師父! ご安心ください。私は必ずご期待に背かないように、最後の道程をしっかりと歩み、法を実証し、衆生を救い済度する過程で絶えず昇華し、成就できるまでに頑張っていきます。

偉大なる師父にお礼を申し上げます。

不適当なところがありましたら、同修の皆さんの慈悲なるご指摘をお願いします。合掌!

(完)

(明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会原稿)

 2008年12月27日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/11/24/190421.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/12/21/103168.html