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田恵英さんは三水女子労働教養所で「自殺とみせかけて殺された」

(明慧日本)田恵英さん(女性)は、2005年7月、三水女子労働教養所で「交通事故」と偽って、生命を奪われた。当時の年齢は50歳。私は彼女の殺害される全過程の目撃者である。

田恵英さんは亡くなる前、女子教養所の1区六大隊に拘禁されていた。田さんは常に「監視」され(法輪功修煉者を常時監視する教養所の担当者に)、殴られたり、蹴られたりされ、手足はいつもアザだらけだった。夜になって、空っぽの桶を持って入り口に立っているのをよく見かけた。水を汲みたくても汲めない(麻薬犯が多く、水を使う時間が制限されており、給水時間も短いため)。それを知っていながら、警官は田さんがきれいに体を洗わないから、麻薬犯によく臭いと言われると警官に告げられた。そのため、田さはいつも一人だけ列の片側を歩いていた。

2005年7月のある日、女子教養所は身体障害者を招いて、演芸会を開催した。その日の午前11時ごろ、6大隊がちょうど食事の時間で、列を作って食堂へ行く途中、四大隊の入り口を通りかかった時、食堂(講堂としても使用)へ道具を運ぶ車が、食堂から出て来て入り口で田さんにぶつかり、田さんは転倒し、車輪に足を轢かれ、その場で気を失った。

大隊長は、警官らは「田恵英は自ら突進して車に衝突し、自殺しようとしたので、監視人も止めようとしたが無理だった」と嘘を言った。実は、その時、警官など1人もその場にはいなかった。林という責任者だけがいたが、前を歩いていたので、後で発生したことは見ていなかった。その上、監視人は若くて力があるのにも関わらず、転倒している田さんを止められなかったのか? 私は田さんがいつも通りに一人だけ列の片側を歩いていたのをはっきりと目撃していた。田さんが自ら突進して車にぶつかったのではなて、車にぶつけられたのだ!

翌日、警官は労働教養所で「誰もこのことについて話してはならない、更に外部や他の大隊に言うことも許さない。誰かがこのことを漏らしたら、刑期を伸ばすことになる。また、田恵英がただ足だけを怪我しただけで、生命の危険はない」と嘘をまき散らした。この事実を封鎖するため、なんと2カ月も労働所から外へ電話をかけることを禁止していた。

現場にいた人は皆、田さんは自殺したのではない事実を知っている。警官らは責任を負うことを恐れ、上層部へ報告する時、自殺だと報告した。他の大隊や田さんの家族に対しても、自殺だと伝えた。何人かの目撃者がいくら事実、真相を言っても無駄で、警官らはなんと「目撃したこと自体、事実ではない!」と言った。


2008年12月28日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/23/192081p.html