真に心を静め、学法しよう(三)
文/ハルピン大法弟子長安
(明慧日本)
三、仕事をする心は静心学法に邪魔
正法時期の大法弟子として、法のために来た生命として、私達は多く法を実証し、衆生を救い済度すべきです。しかし、それらのことをする基点と心態は必ず、正しくなければなりません。いつでも、どこでも、外部の環境は厳しくても、緩んでも、私達がしている全ては修煉なのです。常人の中で何かをしようとするのではなく、法を実証するのであり、自分を実証するのではありません。そのため、心を静かにしてより良く多く法を学び、たえず法に於いて上昇してこそ、法を実証する時、大法の威力と加護の力、及び大法弟子の正念の働きが良く現れるのです。同時に大法は私達に無限の知恵を開いてくださり、私達をもっと理性的に賢くさせてくださるのです。
「ですから、いくら忙しくても、法を学ぶときには、如何なる考えも放下し、他に何も考えずにただ法を学ぶべきです。あなたが法を学んでいる中で、考えている問題が全部解決されたかもしれません。なぜならば、全ての字の背後に皆佛道神がおり、あなたが何を解決しようとしているのか、今何を急いでやろうとしているか、彼らには分からないということは在り得るのでしょうか? それなら、彼らはあなたに教えないのでしょうか? ただし、必ず求める心を抱かずに法を学ばなければなりません。皆さんはとっくにこのことが分かっています。問題を解決しようとする執着の心を抱いて法を学んではならず、落ち着いて読めば、修めた効果はきっと非常に素晴らしいものです」(『米国フロリダ州での説法』)。
大法弟子は個人でも全体でも、法を実証する時、どんな難しい問題や事情があっても、どんなに忙しくても、時間はどんなにきつくても、絶対に学法を無視してはならず、学法する時は、必ず心が静かでなければなりません。良く法を勉強できるかどうかは、法を実証することが成功するかどうかの根本的な保障なのです。
大法弟子が心を静めて学法できなければ、法を実証する時、妨害と邪魔が出てくるかもしれません。この時にすぐ、内に向かって探し、学法を重視すれば、妨害と邪魔は直ちに取り除かれるだけでなく、以前の正しくない学法の状態も直るのです。その一方、すぐ法に於いて原因を探さず、内に向かって探さず、外に向かって求めたら、自分を問題に陥らせ、すぐ終わることでも、数日経っても終わらず、毎日忙しくて出来ない事があるのは精進だと勘違いし、何かをすることで、心を静めて学法できないために、心の中にあった「空虚と寂寞」を補うのです。そして学法を無視するようになり、もっとたくさんの事をしたり、大きい事をしたりすることで自分を実証し、ひいては、どのぐらいのことをしたか、した事はえらいかどうかを大法弟子を判断する基準にするのです。実際は仕事をする心で大法弟子の時間と精力を無駄にすることは、大法弟子が気付きにくい旧勢力の妨害なのです。
私が住んでいる地区には大法のためにたくさんの事をした同修がおり、特に資料点の同修たちは、今確かに心を静めて学法ができず、何かをすることに執着しています。さらにある同修は自分の心が静かに学法できず、他の同修たちと一緒に学法する時だけ、やっと「本が持てる」状態なのです。この状態が大法弟子全体と資料点が迫害される一番の原因なのです。ハルピンで起きた2005年の9.23事件(李洪奎たちが連行された)と2006年の8.10事件(鴻朗花園事件)は悲痛な血の教訓で、9.23事件で連行された呂麗華さんと8.10事件で連行された張中さんは迫害され、死んでしまいました。大法弟子の血は無駄に流れるわけはありません。「仕事をしている一部の人は、長きにわたって本を読まず、法を学んでいませんが、それでどのようにして大法(ダーファ)の仕事をうまくこなすことができるのでしょうか? 無意識のうちに皆さんは多くの取り返しのつかない損失を生じてしまいました。教訓は皆さんをさらに成熟させるはずです。旧(ふる)い邪悪な勢力に皆さんの考えの隙(すき)を突かれることがないようにする唯一の方法は、しっかりと法を学ぶことです」(『円満成就に向かって』)。
仕事をする心は大法を実証することに於いては強く外に求める表現です。大法弟子として皆学法を重視し、心からすべての大法弟子が心を静めて学法する工夫をしてほしいのです。本当に学んで静かになり、最大限に学法の実効を収めてほしいのです。法を実証するにはどんなに忙しくても、心を静め、学法しなければなりません。「今皆さんが確かに忙しいのであって、多くの人が自ら進んで多くの仕事を担当したので、法の勉強になかなか身を投じることができません。考えの中でいつも法を正すことを考えており、法を勉強する時に心が静まっていませんが、実は法を勉強していないことに等しいのです。理性的に意識をはっきりさせながら法を勉強することができなければ、法を勉強していないことに等しいのです。しかも時間を無駄にしてしまいました。ですから、この方面のことについて、皆さんは必ず認識しなければなりません」(『2002年度ボストン法会での説法』)。
「時間を作って勉強する時、心が静かにならないという問題が起こりやすいのです。心が静かにならなければ、勉強しても無駄であり、時間がもったいないのです。法を勉強するには、心を放下し、落ち着かせ、考えが静かになってから本当に勉強するようにすべきです。幾つかの段落しか読めなくても、心が落ち着かないまま本一冊を読むより効果が良いのです。法を勉強する時には、必ず頭に入るようにすべきです」(『アジア太平洋地区学習者会議での説法』)。
今9.23事件と8.10事件で連行された同修達は、相次いで家へ帰りました。彼らは心を静め、法を学ぶ上で、法に基づいて深く反省してほしいのです。どんな心とどんな要素が、師父が按排してくださった修煉の道を外れさせたのか、急いで、大法と大法弟子の全体にもたらした損害を補うべきです。そして他の大法弟子は遠回りをした同修たちを排斥しないで、一緒に内に向かって探し、ともに堅く崩れない全体になるように努力しましょう。
(続く)
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/5/191133.html)
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