日本明慧
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真に心を静め、学法しよう(五)


文/ハルピン大法弟子長安

(明慧日本)
 2、学法に於ける交流とお互いに切磋する問題
 学法組は学法が終ったあと、交流の時間を作るが、時間はあまり長くないほうがいい。できるだけ、理性的で、深くした方がいい。形式だけではだめです。皆交流する時、ある時、ただある経験を話すだけ、それは足りない、私たちにとって、一番重要なのは<交流>である:何か起きる前に自分は法に基づいて、どう認識したか、その発生、発展の過程に於いて、どうやって、法に基づいて、心の内に向かって探し、内を修めたか、終わった後、自分は経験したことを通して、法に於いて、どんな上達と昇華があったか、そして、心の内に向かって探し、内を修めることを通して、どこの不足を正したか、このようなことを交流するだけでも、意味があると思う。具体的に起きた事情に対して、法に基づいてはっきりした認識ができてからこそ、私たちのレベルは昇華し、次元が高まることができるのである。もし切磋と交流はただ<事情に於いて事情を話す>だけにとどまったら、話しきれないことと、やりきれないこともある。
 私は法に於いて何か悟った時、皆で一緒に上達するために、必ず同修たちと交流する。そして、他の同修はどうやるかにかかわらず、自分は必ず、法を師とし、自分の悟った通りに堅くやり遂げる。同修は何か提案があるとき、もし私はまだ法に基づいてそこまで悟らなかったら、同修が提案したことは法に基づいたかどうかで判断する、もし法にはそういう要求はないとわかったら、誰が提案しても、何人提案しても、私は絶対に盲従しない。なぜなら、私たちは法を師にし、人を師にしない、さらに、少数派は多数派に服従するわけはないから。私は修煉してから、ずっとこのようにしてきた。
大事なのは大法弟子が互いの不足、または法からずれたことに気づいたら、必ず善意を持って、同修と交流することだ。ある同修は大法弟子に欠点があり、ひいては法に於いて厳重な問題があった時、交流する時、話しだしてはいけない、話だしたら、旧勢力の決定を認めたことになり、同修を<決めた>ことだと思っている。これは法を正す修煉の認識である:同修のことは自分のことであり、自分のことは同修のことである。同修の問題と不足に対し、ともに師父が決めてくださった道を正しく歩み、大法と同修たちに損が少なく、できるだけ損が出ないことを基点にし、責め、排除、恨みの心を持たずに、善意を持って同修たちと一緒に交流し、上達するのは、全て法に従っている。

3、交流、切磋と修煉の関係を正しく扱う
切磋と交流によって、自分の不足に気づき、<比学比修>し、互いに促進することを通して、もっと速く法に基づいて上達できる。しかし、<相生相剋>の理があるので、ある同修はこのような環境に頼り、修煉するようになった。問題、矛盾があった時、新しい環境に出たとき、どうしたらいいのか、分からない時、いつも他人との切磋に熱中し、そして切磋した後の認識を自分の本当の認識にする。ある同修は連絡人、<名人>と古い同修について、彼らのやり方を真似して、彼らはどうやったのかを見、自分も何も分からずに模倣をした。やったことは法に合うかどうかは自分にもわからない。全く、法に基づき、自分の修煉習得で明白にやっていない。実は本当に導いているのは師父の法しかない。同門弟子の修煉感想、認識はあくまでも参考にすぎない。自分の上達と昇華は、自分でしっかり把握しなければ何らない、同修との交流または他人の修煉感想に頼らずに、自分が心を静め、法を勉強することと、大法に対しての正々堂々とした認識に基づくべきだ。

まとめ
 心を静め、法を勉強するには、師父が教えてくださった三つのことの中の発正念と真相を伝えることも緩んではいけない、「私は今なぜ精進がこんなに遅いのかと言っている人がいます。本ばかりを読んでもだめだと答えました。大法弟子は三つのことを行わなければならず、一つのことだけを行なっているから、精進を感じていません。もし三つのことを全部やり遂げ、しっかり行なったら、向上を感じられます。当初の個人で法を勉強し修煉する段階と完全に異なり、つまりこれが原因です」(『2005年ロサンジェルス法会での説法』)
だから、心を静かにし、法を勉強しようと思ったら、ただこれ一つだけを良くすればいいと言うわけではなく、同時に三つのことを全部良くやらなければならない。同時に上達できてからこそ、静心学法ができるわけだ。大法弟子は三つのことを全部よくできてからこそ、師父が按配し決めてくださった修煉の道を正しく歩み、旧勢力の変異した決定を根本的に否定し、大法と大法弟子に損を招かないことができるわけだ。
この文章を書き始めたころ、邪悪は高熱を操り、私の肉体の体を迫害した。私は正念を発し、迫害を止めない限り、正念も止まらなかった。二日後徹底的に迫害を取り除いた。ここから、邪悪は大法弟子が皆静心学法することが怖がっていることを悟った。大法弟子はみんな筆を取り、自分の学法と他の方面に於いてのいい修煉感想を書き、大法が開いてくださった共同交流の場所である明慧ネットを活用し、交流してほしい。この文を書く過程に何度も師父の慈悲な啓示と加護を感じた。しかし、修煉のレベルに限界もあり、書いた字でどうしても心の中の本当の体験と感銘が表せないのである。

以上の感想と体験に不足なところがあったら、ぜひ指摘して欲しい。それを自分の修煉に活かしていただきたい。

(おわり)

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/5/191133.html