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迫害を否定した経歴


文/山東省威海市の大法弟子

(明慧日本)同修の励ましの下、私は自分が経験した邪悪の迫害の経歴と体得を書き出したいと思います。不適切なところは同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 2004年11月末、私は町で真相を伝えていたときに通報され、派出所に強制連行されました。彼らは私を3平米くらいの暗い部屋に監禁しました。外側は大きい部屋で、私を鉄のいすに座るよう強要し、鉛筆くらいの太さの鉄の棒を身体の前にあて、私を鉄のいすに動けないように固定しました。そのいすはとても高く、足は地面に届きませんでした。両手には手錠がはめられ、トイレにも行かせてもらえず、食事も与えられませんでした。副所長はとても悪辣な人で、私に「懺悔書」を書くよう強要しましたが、私は真相を説明しました。しかし、彼が聞く耳を持たないので、私は発正念を始めました。夜になり、ドアの隙間から電気の光が見えました。発正念を終えると法の暗記を始めました。一体、自分のどの心が旧勢力に隙を乗じられたのか、内に向かって探し始めました。

 息子の家から帰る用意をしていたとき、私と同じ村に住んでいる同修の娘が息子に電話をかけ、「あなたの母親はいつも外で真相など伝えているようだけど、あなたの母親にこれ以上うちに来て私の母に影響を与えるのをやめて」と言われ、息子夫婦は私に、家に帰ったら絶対外で真相を言わないで、家でだけ煉功するようプレッシャーをかけてきました。私は息子夫婦に真相を説明しましたが、息子夫婦は私に外に出ないように約束するよう強要しました。私は面子と息子との仲が悪くなるのを恐れて、人心で問題に向き合い、心の中では、家に帰ったら私の自由だからあなたたちは干渉できないと思いながら、口では息子夫婦の要求に応じました。結局、この人心に旧勢力が隙に乗じたのでした。私は発正念でこれを除去し、旧勢力の一切を否定しました。仮に私に隙があったとしても、私は大法の中で規正し、師父が一切を掌握しておられるのです。

 翌日、副所長がまた現れ、「懺悔書」を書かないと1万元の罰金を払わないといけないと脅してきました。私は無視しました。すると、今度は息子に対する情を利用して誘惑しました。私は師父の法を思い出しながら、心を動かしませんでした。副所長は激怒し、書かないとまた上層部に送ると言うのでした。私はまた発正念をしました。「あなたにはその権利がない。師父が一切を掌握しておられる。あなたは私を釈放しなければならない。ここは私が留まる場所ではない。私は出て行って衆生を済度する」と心の中で言いました。夜になり、副所長は私を事務室に連れて行き、他の大法弟子の名前を1人でもあげたら釈放すると言うのでした。私の口から何も得ようと思わないでと、私は拒否しました。

彼は私を一目見ると、家族に迎えに来るよう電話をかけました。彼らは私の手錠をはずしました。私は彼らに没収された私のかばんを返すよう要求しました。王華強は私のバッグの中に真相資料があるのを見て、どこから来たのかと聞きました。「どこから来たのかはかまわないで、あなたたちにあげるから読んで見なさい。お金を出しても買えないもので、見たくても見られないものです。あなたたちに福をあげるのと同じではありませんか?」と私は言いました。家族が着いたとき、私は副所長が頭を横に振るのを見ました。師父のご加護の下、私は正々堂々と出てきたのでした。

 大法弟子として、どのような状況に置かれても正念を保たなければいけないと私は体得しました。人間の観念では通じないのです。私たちの一つの念、一つの考えのすべては法の中で悟るべきで、法を多く学んでこそ正念が生じ、人心を捨てることができ、法を多く学んでこそ、私たちがやるべきことをしっかり行うことができ、そうしてこそ師父の慈悲なる済度に背かないのです。

2009年1月5日


(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/1/4/192891.html