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朝の煉功の関門を乗り越える

(明慧日本)朝の煉功に関して、私はかつて修煉体験を書いたことがあるが、あまりにも多くの執着心の下で書いたので、明慧ネットに掲載されなかった。今になってもこの関門をなかなか突破できない同修がいるのを見て、前の修煉体験を整理して投稿した。同修の役に立てばと思う。

初めて明慧ネットが朝の煉功アナウンスをすることを見たときに、最初の反応は早すぎるということだった。夜11時に寝て、朝3時50分に起き、深夜12時にまた発正念をしなければならない。昼間は仕事もあり、頭脳労働で、仕事中に居眠りしたら、上司に注意されるかもしれず、法輪功修煉者のイメージを損ねかねない。大法のイメージを優先に考慮して朝の煉功をしなくてもよいという口実を見つけた。時々、「明慧週刊」に朝の煉功の体験談があったが、ほとんど年配者と主婦の修煉者で、皆お昼に時間のある人たちだから、私には仕事があるため、別に朝の煉功はしなくてもよいと思い、また自分が怠ける口実を見つけた。

私の修煉状態はずっと精進と怠けが交互している。心性上の関門がやってきたとき、或は師父がヒントを与えてくださったときに、私は往々にして自分のあらゆる執着心を整理して、どれが法理上にないか、或はどの執着を抱えているか、生活上のすべてのことやすべての念を全部反省し、最後はいつも朝の煉功のことになる。私はどうしてこの関門を乗り越えられないのだろうか? このとき、いつも今度こそ、この関門を乗り越えようとひそかに決心する。しかしながら、朝の煉功はいつもぼんやりとした状態にあり、午前中にあくびが絶えず、夜の学法のときに眠く感じる。このとき、「これではだめだ、朝の煉功はすでに私の仕事と学法に悪影響を与えている、しばらくやめよう。仕事が忙しくなくなったらまたやろう」と思う。

このように朝の煉功をずっとやらないでいる。ある日、同修が夜12時の発正念の問題について交流を行ない、私は11時に寝て、12時に起きて発正念をすると言った。それで朝の煉功を保証することができるのか? という同修の質問に対して、私は朝の煉功をやっていない、四つの発正念だけを保障していると言った。同修は朝の煉功をしないと、どうやって精進の状態を保つのかと言った。日ごろ、自分の修煉がまだ結構いけていると思い込んでいたが、同修の話を聞いて、非常に不満を覚えている。口では何も言わないが、心の中で「確かに、朝の煉功さえ保障できないのに、どうやって自分が精進しているといえるだろうか。どうしてもこの関を乗り越えなければならない」と思った。

ひとつの闘争心をもってこの関を乗り越えようとして、以前この関を何回も乗り越えようとしたが、できなかった。今回どうやってできるのか? だんだん争う心が落ち着いてきた。「私は修煉したいからこの関を乗り越えようとするのか? それとも闘争心でこの関を乗り越えようとするのか? 私は自分の面子を保つためにこの関を乗り越えようとするのか? それともこの執着を取り除くためにこの関を乗り越えようとするのか? なぜ以前この関をなかなか乗り越えられなかったのか?」といくつかの疑問が頭に浮かんできた。

ついに、自分の修煉の基点がすでに偏っていたことに気づいた。闘争心、虚栄心と師父の法を信じない心を、自分はずっと前から抱えていたことに気づいた。自分の休憩時間が少なくなったら眠くなることを恐れており、師父の法を固く信じていない。これらの念は皆人の念ではないか? 人の念を取り除かないと、神の念がどうやって出るのか? 師父の法を信じなければ、師父の弟子といえるのだろうか? このように考えていくと、考えれば考えるほど恐ろしくなる。朝の煉功は些細なことだが、中にこんなたくさんの執着心が隠れている。

本当に突破しようと思えば、まず正念を強めることからスタートする。朝の煉功は休憩に影響ない、体に影響ない、常人社会によくない影響を与えるわけがない。この一念を樹立させなければならない。正念が強まったら、次は行動でこの関を突破しなければならない。目覚し時計を3時50分にセットした。今回は怠けず起きなければならないと自分に注意した。結局、着実に眠れなかった。3時50分になったら、すぐに起きて煉功を始めたが、頭がくらくらして眠くて眼も開けていられなかった。私は思想中のよくない念を排除しようとした。このように堅持してようやく静功をやり終えた。眠気は一掃したかのように頭がだんだんはっきりとなってきた。その次、発正念で自分の頭にあらゆるよくない念を取り除いた。その日の午前中に非常に元気よく仕事をした。お昼に少し休憩しようと考えていたが、あいにく、お客さんと一緒にお昼を食べなければならず、お昼に休憩しないと午後はどうなるかと心配し始めた。同時に頭の中でこのよくない念を絶えず排除していた。このように一日が終わった後、異常な感じはまったくなかった。このようにお昼休みのない翌日も歩み終えた。翌日の夜に、私はこの関を乗り越えたと気づいた。なぜなら私の頭にもう眠いなどの念が無くなり、休憩が少ないと仕事に影響する念も無くなった。

自分の一念が正しければ、師父がそれらのよくないものを取り除いてくださる。ここで朝の煉功を堅持できない同修に言いたいことは、実は朝の煉功の関門を乗り越えることは簡単なことで、ほかでもなく、その一念にある。一つの正念でこの関を乗り越えられる。現在私は毎日5時間しか寝ないのに、全然眠気を感じない。頭によくない念も現れてこなくなった。

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/7/193104.html