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雷必福さんは帰宅して2カ月後に連行された

(明慧日本)重慶市開県臨江鎮の法輪功修煉者・雷必福さんは、2008年からずっと家を離れて落ち着くところがなかった。一時的に家に帰ってまだ2カ月たらずの2008年12月12日午前9時、江鎮派出所副所長・劉学峯が人を率いて、彼を地面に押し付けて電気棒で殴り続けた。妻が止めようと、警察に暴力を振るわないように説得したが、劉学峯に制止された。

 警察は雷必福夫婦を派出所に引き立てて行く途中、ずっと彼らを殴り続けた。2人はひどく殴られて、ひどいけがを負った。警官が連行し、暴力を振るう中で、雷必福夫婦は一度も逆らうことなく、ずっと「私たちはよい人です、私には罪がなく、何の罪も犯していない。不法なのはあなたたちです」と言い続けた。夜8時になってから、雷必福夫婦にご飯と水が差し入れられた。8人の警官は彼の家で不法な家宅捜査をした。雷必福さんはまだ不法に重慶市の開県臨江鎮留置場に収監されており、妻は2日目に家に戻された。

 雷必福さんは修煉する前は商売をしており、商売で争いごとになって何回も刺されて、半身不随になった。1998年11月に大法を得て、身体が健康状態に戻り、生きるより死んだほうがましな苦しい人生が終わった。その一方で共産党が法輪功を迫害し始めて以後、610弁公室に撹乱され迫害され続けていた。

 2001年6月、開県の警官が数人の法輪功修煉者を逮捕し、また彼らに残酷な刑罰を実行した。警官が残酷な手段で自供をさせた後、警察が車2台で雷必福さんの家に行って不法に人を連行し、家宅捜査をした。いかなる証明書や手続きもない状況下で、多くの武装した警官らが彼の家のテレビ、ビデオカメラ、ラジカセ、大法の書物などの品物を奪い取った。また、ドアのところに二つの紙を張り、1枚は「雷必福は反革命者」、もう1枚は通知で、「雷必福を捕まえたら賞金あり」と書かれていた。

 雷必福さんは無事に災難を逃れたが、家族から離れて落ち着くところがない生活になったが、共産党の警察はいつも彼の家に行って生活を乱した。2003年10月のある早朝、開県県城の警官が臨江鎮派出所の陳彰松の引率のもとで、十数人で彼の家を囲んだ。雷必福さんの家族がドアを開ける暇もなく、警官らが鉄の棒で門をこじ開け、家族の人に人を外に出すように脅し、さもなければ、派出所がドアをこじ開けて捜査する権利があると言い張った。2004年12月のある日、警官が雷必福さんの妻を派出所に連行し不法に15日間留置した。

 雷必福さんの家族は数回派出所に没収されたものを取りにいったが、警官らは返さないだけでなく、大法と彼の家族を侮辱し、その場にいた70歳のおばあさんに対しても侮辱した。警官らは39日間雷必福さんの母親に朝ベッドから起きた後、薄着で寒さに耐えさせ、何度も彼の母親を汚い言葉であなどり罵った。雷必福さんの妻が1人で父母と子供を扶養しなければならず、負担はとても大きかった。

 2006年1月18日、雷必福さんの家族はまた派出所から財産を要求された。警官・陳彰松が憎々しげに「おまえたちのところにまた来て物を要求してやる。正月になったらまた行って逮捕してやる。戻って来てもまた逮捕する。お前達は騒ぐな、まだ騒ぐなら、お前たちを処理する。この数回(雷必福の家の捜索)はすべて私が率いた。上から命令があればすぐに実行する。雷必福が家に帰れるものなら、私は彼を撃ち殺す」と言った。

 2008年12月12日午前9時、臨江鎮派出所副所長・劉学峯が5人の警官を率いて、農貿市場に雷必福さんを逮捕しに行き、特別に数十人のごろつきを各道路に配置した。4人の警官らはすぐに雷必福さんを麻酔銃で撃ち倒して、スタンガンで電気ショックを与えて殴った。それから雷必福夫婦を派出所に連行して不法に収監した。その間、8人の警官らが彼の家に行って不法に家宅捜査をした。

 雷必福さんは警官に殴られて全身に傷を負い、今は不法に重慶市開県留置場に収監されている。国内外、各界の人が、手を尽くして彼を救助することを願います。

 2009年1月8日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/1/192726.html