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天津の農民・楊学蘭さんの悲惨な遭遇

(明慧日本)天津市武清区東浦窪郷大頓邱村の農民・楊学蘭さん(42)は、数え切れないほどの苦難を経験した。

  楊さんはまだ若いが、心臓病、神経衰弱、胃病などの深刻な病気を経験したことがあり、生活はとても楽ではなかった。1997年、法輪大法を修煉し始めてから、わずか1カ月の間に病気は全て消え、それ以後、身体が軽くなった。楊さんは師父と大法に感謝してもしきれないほどであった。

  2000年、楊さんは北京に陳情に行き、法輪功の正当性を主張したため、北京市朝陽支局に殴打され、さんざん侮辱され、15日後に武清区の留置場に戻された。また公共の秩序を乱したという「罪名」で不法に60日間拘禁された。

  2002年、楊さんは真相資料を配ったため、武清区公安局に2年の労働教養処分となり、大港板橋女子労働教養所で非人道的に苦しめられた。夫は巻き込まれることを恐れ離婚した。

  2004年、労働教養所から出て来た時には家はもうなくなっていた。家もなく、土地もない状態の楊さんに当時の村の幹部が同情し、楊さんの現状を手紙にして送り、郷に楊さんが家を建てることを申し出た。東浦窪郷政府の担当者は国民の生死をまったく顧みず、不当に妨害し、嫌がらせをした。しかし、最後には2か月の時間を費やし、さまざまな紆余曲折を乗り越えて、やっと2部屋の家を建てることができた。

  2006年の秋のある日、楊さんまた武清開発区派出所に連行され、不法に武清留置場に10日間拘束され、瀕死の状態になるまで迫害されて、やっと釈放された。

  2007年、楊さんは無条件で家を撤去するよう強要された。しかし代わりの家は渡さないという。東浦窪郷の拆遷事務所、武清区政府、天津市陳情事務室は楊さんをまるでボールのようにあっちに蹴ったりこっちに蹴ったりして、最終的に東浦窪郷は楊さんが留守の間に家を強引に撤去した。これはなんという道理なのか! 楊さんはまた家がなくなった。

  現在、楊さんは帰る家もなく、生活のために武清区西浦窪郷に小さい部屋を借りて理髪店を営んでいる。わずかのお金を稼ぎ生活をしている。楊学蘭さんのこの様な住む所がなく落ち着くところがない苦難な日々はいつ終わるのか分からない!

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2009年1月13日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/1/8/193118.html