日本明慧
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師を信じ、法を信じて、初めて神の念が出る


文/吉林省の大法弟子

(明慧日本)1996年から煉功を始めて今に至り、私はすでに大法の中で12年を過ごしました。最初のただ良い身体を得るだけのためから、今は自身の安否を顧みないで衆生を救い済度しています。12年間の中で自分はしっかりと法の中で認識することが出来なかったため、いくつかの回り道をしました。しかしわたしは、大法は最も正しいものであると堅く信じています。

 今思い出すと、2000年以前の私はこの万古の機縁をそれほど大切にしていませんでした。悪魔の住む邪悪な環境の中で、私はますます大法は永遠に放棄することの出来ないものだと自覚するようになったのです。その当時、師を信じて法を信ずることに対する理解ははっきりとせず、ただ感性の上で大法が良いと感じるのみでした。家に帰って、師父の新経文を読んで、わたしは1人の修煉者として何が円満の基準であるかは百パーセント師を信ずることをやり遂げさえすれば、必ず円満できると理解しました。

 ある日、インターネットを利用する携帯電話を充電していましたが、結局1日かけてもうまく充電できませんでした。家人は充電器が壊れたかもしれないと言って、ドライバーで分解してみようとした時、私の正念はあまり強くありませんでしたが、これは大法弟子が法を実証するための道具で、法器であり、全く壊れることはないと思いました。従って私はそれが壊れることはあり得ない、「私に見せて」と言いました。するとこの一念により、充電器がとても不思議に2時間のうちに一杯まで充電することが出来ました。

 インターネットを利用してダウンロードする時、時にはファイルがとても大きいのを見てこのファイルが大き過ぎると思った一念で、よくファイルのダウンロードに悪影響を与えてしまいました。しかしすぐに自分の念が正しくないことを意識して、早速発正念し、師父の加持をお願いしました。これは師父が言われる迫害の中で迫害に反対していることと似通ったもので、いつの間にかダウンロードの難度を増していたのです。

 2008年の夏、家の暖房は年数が経っていて掃除をする必要がありました。母は雑巾で暖房の羽根をきちんと掃除していたところ、雑巾が羽根に挟まれて取り出せなくなり、彼女はとても焦って何とかとり出そうとしましたが、どうしても出せませんでした。その時私は側にいましたが良い方法を考えだせず、ただ「私に試させて」と言うしかありませんでした。しばらく試しましたが、依然として出す事が出来なかったため、多少焦りました。突然私は交流文章の中で同修はトラブルにあったとき、師父の加持を願うとすぐに問題を解決したとのことを思い出しました。それで私はその場で師父の助けを求めました。この一念で、雑巾をすぐ取り出す事が出来ました。

 師父は全てのものに生命があると教えられました。この点は私たちの使ったレーザー・プリンタで真相資料を作った時のことで実証する事が出来ます。ある日の夜、私は買い物に出かけようと思いましたが家族が同意せず、私の心の中はちょっと不愉快になりました。7時を過ぎた頃、『九評』を作るべきだ、と思ったと同時に、やはり早くした方がよい、さもないと部屋中ににおいが充満するから、と思いました。しかし、私たちがプリンタを使用する時、全く問題ないのに全く印刷できません。私たちは正念を発して、内に向けて探し、またプリンタに真相を伝え、師父に加持をお願いしましたが、依然として印刷できませんでした。

 父親は、今夜はやめよう、一緒に法を学ぼうと言いました。法を学んでいるうちに突然資料をこしらえる前に私のあれらの心の中の考えを思い出しました。これこそプリンタが動かないことを招いた本当の原因でした。私はすぐ心の中でプリンタに向って「私が悪い、あなた(プリンタ)に仕事をさせてもまたにおいがするのを嫌った、わたしを許してください、あなたは私の法器なので、私たちはぜひ法を正すことの最後まで協力し合いましょう」と話しました。

 翌朝、プリンタはやはり働かず、私はすぐ家の人に昨日自分の念が正しくなかったことを話しました。それから父親がちょっとプリンタの漏れたトナーを掃除すると、マシンの中の小さいパーツが少し響いた音がして、再び試して見るとマシンは正常に戻りました。今回のハプニングにより私は、肝心なのは私たちが正念を持つ中でのみ思う通りになり、ようやく師父が私たちに与えられた全ての神通力を発揮できると深く意識しました。

 去年家に帰って何日も経っていないある日、私たちは法を学んでいました。すると差し迫ったノックの音が聞えました。私は明らかに動悸が早くなり、いても立ってもいられず、私に向って来たと妄想をたくましくして、とても恐れました。私はこれが恐れる心だと知っていましたが、どうすれば良いかわからず、発正念をすべきであることを全く思いつきませんでした。その後同修と交流して、その時にすぐ発正念すべきだったと分かりました。午後にまた人がノックをしに来て、この時は事前に同修と交流したので発正念をすることを知っていました。しかし明らかに心理状態が依然として不安定であると感じました。翌日午前に階下から2人の対話をはっきり耳にしました。その中の1人は2度家に来たが人がいないと言っていました。もう1人は家にずっと人がいると言っていました。相手はノックした住所を間違っていたということで、結局わけもなくわたしは驚いたのでした。再度同修と交流して、このような幻影も私の心に対してやって来るもので、旧勢力は私に漏れがあることを見たため、この事を利用して私に試練をさせているのです。

 それから1年の間また何度も間違いノックの現象が現れました。それは私たちがあまり精進しない時に良く出て来ます。この時私たちは手元のその他の事を置いて交流し、正念を発して、内に向けて探して、この段階の修煉の上で現れた心性の状態に関する問題を互いに探し合い、師父が求めておられる共に高まるようにします。師父は『2008年ニューヨーク法会での説法』の中で、「あなたが思っている如何に大きな魔難にしても、苦痛にしても、いずれも良いことです。それはあなたが修煉したから現れたことです。魔難の中で業力を消すことができ、魔難の中で人心を取り除くことができ、魔難の中であなたを向上させることができます」とおっしゃられた事を実行することが出来ました。

 このいくつかの異常な現象は直ちに内に向けて探す注意点となり、すぐ発正念し師父の加持を願い、旧勢力の手配した全てを全面的に否定することをやり遂げました。私は師父がいつも私の身の回りにいてくださる事を思うと、直ちに恐れる事は無くなりました。まさしく師父の言われるように、「恐れる心がなくなれば、あなたに恐れさせる要素も存在しなくなります」。

 これらの経験は師父がすでに私たちに十分な神通力を与えられており、肝心なのは、私たちが百パーセント師を信じて法を信じれば、私たちはそれを使うに相応しい正念があるかどうかだということを深く悟らせました。師父は『轉法輪』の中で、「あなたに与えられたからには、法輪はあなたのもので、あなたの意志の支配を受けます」と私たちに教えられました。事実上私たちの向上は全て師父から来たものです。慈悲で偉大なる師父が私に何度も機会を与えてくださった事により、私は今もなお大法の中で修煉し続ける大法弟子になっています。

 修煉の中でいろいろと体験していますが、次元が限られており、不適当なところがあればご指摘を願います。

 2009年1月13日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/1/11/193314.html