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歓喜心の教訓


文/トロントの大法弟子

(明慧日本)私は最近中国大陸からカナダに来た大法弟子で、最近ずっと「神韻」公演のチケットを販売しています。今朝、私はもう1人の同修とチケット売り場に行き、神韻の紹介ビデオをつけてまだ1分も経たず、まだ服も着替えていないうちに、チケットが2枚売れ、とてもうれしくなり、その時一瞬頭の中である考えが浮かんできました、「この2日間の修煉状態が良かったから、師父が褒めてくださったのではないか?」と。

  正午ごろ、中国系の老婦人がやって来て、とても興味がありそうでした。彼女ははじめ時間を決められないからと断りましたが、私たちが詳しく説明をした後、3枚買いました。帰る時、私に一言「あなたは中国語を話しますか?」と聴き、「はい」と答えると、彼女は広東語を話すと言い、それからは中国語で会話を始めました。私たちには政治の要素が入っているのか? 法輪功の要素が入っているのか? と彼女は聞き、政治的要素はなく、この公演は法輪大法仏学会が主催しており、中に法輪功が迫害される様子を描いたプログラムがあると言いました。彼女はこれを聞いて、直ちにチケットの返却を求めたので、私と同修が真相を伝え、自分の身近な経験で法輪功が国内で迫害を受けている事情を話しました。彼女は理解しましたが、夫と友達が受け付けない、「神韻」を見ると、彼らが不平を言うと恐れ、また返却しようとしました。彼らはあなたに不平を言うことはできない、見た後、あなたに感謝するでしょうと話しましたが、彼女は意志を変えませんでした。

  続けてその客に真相を伝えましたが、彼女自身は納得しても、夫と友達は「三反五反」を受けて、政治に関してはとても恐れ、もう政治に関わりたくないのだという。再度、これは信仰に関係しても、政治に関係ないと強調しましたが、最後にこの客は意志を通し返却しました。

  その人が去った後、とても残念な気持ちで、なんとも面目ありませんでした。チケット売り場から帰る途中、なぜ今日のようなことが起こるのかとずっと考え、内へ向かって探してみました。どこに問題があるのか? チケットを売っていた時のことを思い出し、あの時、「午前で5枚も売った、成績は悪くない」という思いがふと頭の中をよぎったのです。

  歓喜心がこのような出来事に変ったのだと思い、お客がチケットを買うことはむろんうれしいことで、うれしいのは彼らが神韻の入場チケットを手に入れたからで、しかし、私の歓喜心は不純で、汚いものでした。お客のためにうれしく思うと同時に、自分がチケットを売ったことをうれしく思ったのです。

  前から自分には歓喜心があると知っていましたが、ある時一つの法理を悟った時もすごくうれしく思ったことがあり、しかしこの歓喜心は一体何が原因であるのかはよく考えてみませんでした。『転法輪』の中に「こうしてうれしくなったがために、必要のない歓喜心が生じてきます」とあり、いわゆる歓喜心は人心であり、情であり、根本的には私のためで、もし1人の覚者が宇宙の規則に従ってことをなすのなら、すべては自然に行われているので衆生のためにどのぐらいのことをしても、歓喜心は生じず、得意と感じません。彼にとって衆生のために、無我であることは「真・善・忍」の現れで、もっと自然なことです。私たちは師父の正法、衆生を救い済度することを手伝っており、私たちが規定外に行うことではなく、同様に私たちの先天的な本性の現れで、必然的な表れでもあります。宇宙大法が無我で衆生のためにすべてを造り上げ、すべてを成就して、大法は私たちを同化するのです。チケットを売っている時に自分が偉いと思い、有頂天になり、その結果この心が弱みに付け入られたのです。

  今回の歓喜心の教訓はとても深く、直接3人の生命の救い済度に影響することであり、ここに書いて同修たちと交流したいと思います。

  2009年1月18日
 
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/1/10/193268.html