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純粋な心で大法を実証


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)

  一、法を得る

  法を得る前、私は名、利、情がとても重い人間でした。気が強くて、負けず嫌いで、嫉妬心が強く、自己中心的で、誰かが自分の利益を奪ったなら、容赦はしませんでした。この種の性格は自分に大きな苦痛を与え、よく食べられず、よく眠れませんでした。頭が痛い時は、ベッドに横たわり、両目は光に当たることができず、テレビの音、床を歩く音が耐えられず、回復するまで2、3日を要しました。生理は、2、3カ月に1回もなく、来る時は、少しずつで、年配者はそれをよくないことだと言いました。そのころの生活は面白くなく、すべてが思うままに動いてくれませんでした。

  一度母の家に行った時、母に自分の状況を話しました。母は法輪功を煉功しているので、病気はもう治ったと言い、当時は言われたことを気に留めていませんでした。98年末12月29日、母が『転法輪』を持って来ました。初詣の日、本に何を書いているのか見たくなり、一気に5講読みました。当時は心の中で本に書いている一部はまだ信じられなかったのですが、ある部分の言葉は自分の人生の不可解なことを解いてくれ、とてもよいと思いました。それからは毎日読んでいます。

  母が私に煉功を教えるために来てくれ、私は受け入れました。夜食を食べた後、法輪を抱く功法を煉功している時、頭がふらふらし、吐き気があり、下痢をしそうになりました。母はそれをよいことだと言いました。少し我慢しましたが、とても耐えられなかったので、ベッドに横たわりました。この時さっきの病状はすべて消えました。身体の中に無数のものが動いていることに気づき、とても気持ちよく、知らないうちに眠っていました。

  2日目、母と町に出かけました。風に飛ばされるかと思いました。母は「どこにも風なんか吹いていないよ」と言い、自分の身体が軽くなったことを知りました。もともと神がいらっしゃるのだ! と感じ、それから毎日法を勉強し、煉功しています。心性が向上して、病気はすべて治り、師父が私に第二の生命を与えてくださったことを感謝しています。

  二、大通りや路地の至る所に行き、純粋な心で大法を実証する

  99年7.20以後、共産党のデマが天地を覆う勢いで広まっていきました。集団学法に参加したことがないので、私は同修を知りません。心の中で、同修と接触できたらいいなと思っていました。銭湯に行った時、ある同修のおばさんは自分が法を学んだ後の変化を話しているのに偶然出遭い、喜んで挨拶をし、「おばさん、あなたも法を学んでいるのですか」と聞くと、「そうですよ!」と言いました。このようにして私はおばさんと知り合い、彼女を通して、多くの年配の同修と知り合いました。初めて真相資料を受け取った時のことを思い出し、私は資料を一軒一軒配り、恐怖心は全くありませんでした。頭の中にはただ「私が法を得たのは法を実証するためではないか?」という一念しかありませんでした。

  それからは、あらゆる所を歩き回りました。資料を配る時に出遭った出来事を通じて、私たちの心がとても重要だと悟りました。私たち大法弟子は世の中で一番良い人であり、正々堂々と人々を救っており、世の人々は私たちを受け入れています。善の念をもって行えば、一切の悪は自滅します。待たず、頼らず、私たちが心を込めて行えば、師父が私たちに智恵を授け、私たちのためにすべてをしてくださいます。

  同修と一緒にいると、別れる気持ちがありません。法を実証することでさえあれば、私はただ一つの思いで頑張ります。長く筆を使っていませんが、10メートルの条幅を書くことができ、しかも字はとてもまばゆいばかりに輝いて見えます。ある木の枝に条幅を掛けようと、私は木に上り、条幅を掛けた後、こんなに高い所に登ったことに気づいて、山の下にある町を眺め、私たちは神であると思いました。私たちは主仏の弟子で、できないことはありません。

  真相を伝える時、私は遠回りして伝えません。紙幣に印刷し真相のために使うお札を一度に6枚使ったことがあります。店主があなたは法輪功を信じているのかと聞くので、私は「そうですよ、共産党から脱退すれば平安があります。あなたはまだ脱退していないのですか? 偽名を使ってお札の裏に書けば作用しますよ」と言うと、彼はまだあるなら交換してと言い、私はとても素晴らしいことだと言いました。彼がこのお金で商売すればもっと良いと思いました。

  同修は私がとても単純だといつも言います。単純だからこそ、あれこれ迷うことなくよくできるのだと思っています。

  毎回正念を発する時、私はきちん座るように気をつけています。それは仏、道、神の形であるからです。

  以上は、自分のささいな認識ですが、執着心を放棄できない過程で、よろめきながら歩んで来ましたが、慈悲なる師父は弟子を見放されることなく、私は今日まで歩んで来ることができました。弟子は言葉では言い表せませんが、一切の執着心を修めて捨て、精進に勇猛邁進します。

  2009年1月19日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/1/10/193279.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/1/20/104054.html)