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謝務堂さんは湖南の武陵刑務所で不明な疾病が現れた

(明慧日本)2009年1月9日、湖南長沙の68歳の法輪功修煉者・謝務堂さんの家族は武陵刑務所へ面会に行ったところ、5監区3中隊教導員の段は面会を許さなかった。また面会室で申請書を書いたが、謝さんが転向を拒絶し、長い間作業にも出ていないので、3カ月は面会することができないと言った。その後家族は刑務所の政治部門と検察室に行き、刑務所長にも伝えた。最終的に時間ギリギリで、家族はやっと謝務堂さんに会うことができた。

  家族は謝さんに会って、顔が腫れていることに気づいた。腰もまっすぐ伸ばせず、身体が震え、全身は腫れており、胸に痛みもあるが、検査に連れて行く人もいないという。何が原因で腫れているのかわからないが、腎臓に問題があるのではないかと疑われている。教導員の段は謝さんの息子に「お前の父は重病だから一時出所できるが、しかし『四書』を書かないといけない。書いたらすぐ釈放する」と言った。

  家族が前回面会した時、謝さんは歩くだけが精一杯で、体の状況はよくなかった。謝さんは長い間作業をしていなかったと言った。家族は謝さんの体の情況を見て、ずっと各関連部門に彼の体の情況を説明して、重病のための一時出所を申請したがまだ解決をみない。

  2008年12月26日は面会日ではないが(毎月1回しか面会できない)、家族はわざわざ武陵刑務所に行って刑法執行課を訪ね、「すでに70歳近く、身体は迫害で重症になっている。一時出所をお願いしたい」というと、警官の易は駄目だと言う。謝さんの家族は「それでは万が一問題が起こったら、誰が責任を負うのか?」と詰め寄ると、易は「誰も責任を負わない。刑務所で死ぬのは当たり前のことだ」と言い放った。

  「当たり前? 刑務所で死ぬことは当たり前なのか? 法律では、服役中は生命を守るために、重病による一時出所の条例があるではないか? 健康だった家族がおまえ達に捕まえられて、もし問題が起こったらお前たちが責任を取らなければならない。彼はこんな年齢なのに」というと、易は「刑務所には10数人の法輪功修煉者がいて、この隊にも3人いる。中の1人は75歳だ」。謝務堂さんの家族は「彼らは拘禁されるべきではない。なぜなら一つは悪い事をしていないし、二つは、体の情況によっては刑務所に入れて拘禁することはできない。家族は長沙市留置場で迫害されて肺結核になった。高血圧、脳の動脈硬化があって、歯が全て抜け、咀嚼することができなくなっている」と抗議した。

  謝務堂さんは2007年7月14日に数人の警官が家に突入し、強行にドアをこじ開け長沙市留置場まで連行された。その時謝さんには手錠がはめられて血が流れ、服は血で赤く染められた。 2007年11月、長沙市の天心区の裁判所が謝務堂さんに対して不法な裁判を行った時、謝務堂さんの体はすでに迫害されて衰弱し気を失い、高血圧、肺結核で、また2度に亘って危篤状態になった。

  謝さんは市の留置場で何度も気を失った。1回は点滴で空気が入ったため、ショックを起こし、意識が戻った時、2人の言い争った声を耳にした。1人はこのような薬を使っていいと言い、もう1人は駄目だと言った。年齢の関係で(頭がはっきりしない、記憶力の衰え)、長沙市留置場は責任を負うことを恐れ、2007年12月6日明け方3時か4時頃急いで謝務堂さんを常徳津市刑務所の第2派遣センターまで連行した。派遣センターは謝さんが肺結核であることを理由に拒否した。1カ月後、警官はまた体の心配があるので謝さんを常徳武陵刑務所の5監区3中隊に移送した。 

  謝さんの家族は社会にむけて、善良な人々に救援の手を伸ばし、直ちに善良な人々に対して9年も続いた中国共産党の残忍悲道な迫害を制止するように呼びかけている。

 2009年1月19日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/19/193772.html