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川西刑務所:法輪功修煉者・祝芸芳さんが迫害された状況

(明慧日本)四川省成都市の法輪功修煉者・祝芸芳さん(45歳女性)は2006年4月25日、仕事中に中共政権の関係者に強制連行され、不法に7年の懲役を下され、現在川西刑務所に収容されている。2008年11月、祝さんは全身が腫れてしまい、歩けない状態で、腎臓が衰え、腹水がたまっていた。

 重体の祝さんは一度公安警察病院まで運ばれたが、病院が「重体に陥っている状況」という通告を出し、祝さんは川西刑務所に戻された。刑務所関係者は「祝さんは法輪功を放棄せず、『三書』も書かないため、刑務所で死んでも釈放しない」と脅迫した。

 祝芸芳さんは、広元市駐蓉幹部であった。1997年、祝さんは法輪功の修煉を始めた。修煉することによって、憔悴しきっていた祝さんは健康状態に戻った。

 2000年2月26日、警官に法輪功の真相を伝えた祝さんは黄瓦交番まで連行され、その後、蓮花村刑事留置場に移送された。

 祝さんが拘束されている間に、黄瓦街、営門口交番、防暴大隊の警官らが祝さんの自宅に侵入し、パソコン、プリンタ、法輪功書籍などを奪い、祝さんの14才の息子を家から追い出した。

 2001年3月5日、営門交番の警官と居委会などの十数人が祝さんの家に押し入り、祝さんを3階から引きずり下ろし、下に止まっていた車に押し込み、金谷山の「法治学習班」に20日間拘束した。

 2002年の旧暦新年、善良な関係者から、「610弁公室」と国家安全部、公安の警官らは祝さんに対する逮捕の可能性があるという情報を得たため、祝さんは家から逃げ出した。

 2002年9月29日、出かけようとした祝さんは警官に九里提交番まで強制連行された。10時間以上の尋問をされ、夜中1時に成都市収容所に移動させられた。

 2004年7、8月、祝さんは警官に監視されたため、家にずっと閉じ込められていたが、地元の中共関係者に精一杯真相を伝えたので、警官は監視を止めた。2005年10月、祝さんは広元市「610弁公室」、国家安全部、公安からの脅迫を受けて、やむを得ず安定した生活を失い、家を出た。

 祝さんの父親は病気にかかっていた最中に、祝さんが迫害されたことでショックを受け、死亡した。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2009年1月21日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/31/192642.html