日本明慧
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大法の中での10年の修煉の軌跡

(明慧日本)99年の春、おばが亡くなって、納棺する時、15センチの厚さの棺桶の蓋が棺桶(棺桶の下に木製の腰掛けがある)から落ちて私の足に当たった。周辺の人はそんな厚さの蓋がそんなに高い(1メートルの高さ)所から落ちたら、ひとたまりもないと驚き、みんなは私に「大丈夫?」と聞いた。その時左足の全体は腫れてとても辛かったが、痛いと感じなかった、「大丈夫、痛くない」というとみんなは信じられず、私に痛い表情がないので、とても不思議に感じた。家に帰ったその夜、いつも通りに五式の功法を煉功し、2日目は何ともなかったように、午前中仕事をして、家に帰ってごはんを作ったが何ともなかった。

  午後ある同修が来て、彼女の姉の夫が死んだばかりで、姉が辛そうにしているのを見て、私と一緒に姉の家に行って麻雀をやろうと考え、姉を楽しませるためだと言ったが、心の中でしっくりこなかった。しかし同修が頼みに来たので断るわけにはいかず、三周麻雀を打った後、足がまた腫れてきたと感じた、そして打つことをやめ、家に帰って見ると足が腫れあがって饅頭のようになっていた。私はただちに「自分は同修と法理上で切磋しなかった」と悟った。もし師父が要求されたことに従わないと自業自得になるとわかった。

  去年、同修と一緒に北京に行って親戚に真相を伝え「三退」(脱退、脱団、脱隊)を勧めた。帰りは親戚の子供が車で駅まで送ってくれた。タクシーに乗るとき、同修が先に乗り、私はまだドアを手で支えていたが、運転手はそれを知らずに、運転席に座り車を発車したので、3本の指がドアに挟まれ、ただちに血が出て、同修がティッシュをくれたので指を押えた。しかし痛くはなかった。師父が慈悲に私の代わりに苦痛に耐えてくださったと悟った。

  2008年8月、歯が痛くてご飯が2回食べられず、牛乳を飲んでも空腹になるので、子供たちはその歯を抜くように勧めたが、歯を抜くときは麻酔を使うのではないか、修煉者は常人の方法で抜くわけにはいかない、どうしても行きませんと言って、ベッドの上で正念を発し「私は大法弟子です、師父に守られている、一切の邪悪は私を妨害することができない」と正念を発すると、不思議にちっとも痛くなくなった。嬉しくてリビングルームに行って子供たちに「見てください、ちっとも痛くない、本当に不思議です!」というと、子供たちは「いいですね、続けて修煉してください!」と言った。

  このような不思議な出来事が身の回りにたくさん起こった。10年来、修煉の中で師父の慈悲と加護を感じないときはない。私を導いて風に吹かれ雨にうたれながらもこの数年を歩むことが出来たことを師父にこの上なく感謝します。巨大な関門、巨大な難の中で、私は徐々に成熟し、70歳近い私はまともな教育を受けたことがなく、話すことは得意でなく、ただ人を救うだけで、同修と一緒に町を歩き真相資料を配り、スローガンを貼った。毎回故郷に帰って真相を伝え、「三退」(脱退、脱団、脱隊)を勧めることは私の日常生活の中の大事なことだと思っている。

  どんなに言葉も私の師父に対する感謝の気持ちを表すことができない、今後、たゆまず努力し、よりたくさんの衆生を救い済度したいと思う。

  次元に限界があり、良くないところは指摘してください。合十

  2009年1月22日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/1/10/193274.html