日本明慧
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トラブルの中で内に向けて探せば、自分の道を正しく歩むことができる


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)先日、偶然ある同修と出会いました。彼は住宅の廊下に「天が中共を滅し、脱党すれば安全になる」の真相フレーズをたくさん書いた方がいいと話しました。この同修は9年来めったに真相資料を配布せず、ずっとペンを使って廊下に書いていました。おそらく彼の妻が厳しく、真相資料やディスクを家に持ち帰りづらいのかもしれません(聞くところによると、いつも大法の本も隠さなければならないそうです)。だから彼はずっとペンを使って書いていました。

 同修のやり方に対して、私は次のように話しました。「手書きはよいですが、しかし字が下手な同修はしないほうがよいと思います。その上、字をきちんと綺麗に書かなければなりません。さもなければ世間の人が反感を持ちます」。彼は「字が下手だとしたら、練習すればよいと思います。また、字が下手でも大丈夫です。最初はちょっと気になるかもしれませんが、見れば見るほど心地が良くなります。字が綺麗でなくても壁に真相がないよりは良いのです」と話しました。私は「字が下手な人は、できるだけ真相を配ったり、貼ったりしたほうがいい」と言い、彼は「あなた達が貼った真相は、数日も過ぎないうちに取られてしまう。字を書いたら長く残る」と言いまいた。私はまた「天が中共を滅し、脱党、脱団、脱隊して命が助かる」と書くべきだと言及しましたが、彼はたくさん書くと時間がかかり、安全ではないと答えました。結局、どちらも相手を説得できませんでした。

 帰るとき、私は彼に言った事がほとんど明慧ネットの文章の内容なのに、なぜ彼は受け入れてくれないのかと不思議でした。考えに考えてみたら、字が下手な同修が手書きで真相フレーズを書くことを否定する事自体が、言いわけの部分があると気付きました。私の字は普通であるため、同時に私はまたいわゆる「重要人物」なので、邪悪に自分の書体を見分けられることを心配しています。そのため私は一度も真相フレーズを手書きしたことがありませんでした。今年春に同修が私にくれた三本のペンをずっと使っていません。甚だしきに至ってはまたそれを誰かに贈ろうとしていました。私が彼に賛成しないのは、実際に自然と自分も書かなくてよいと認めてもらいたくて、まさに自分の恐怖心を隠そうとしていたのです。同修が話した、ペンを使って書くことは間違っていません。確かに長く残すことができます(チョークではなくチョークより太くて拭き落とせない)。

 実は、私の字は普通ですが、真面目に書けば悪くないほうです。その他に、私は周りの同修に対してずっと見下しており、自分を同じ同修として見なしていませんでした。彼を軽蔑していたし、彼のために焦っていることもあります。交流よりむしろ「指導」のほうが適切かもしれません。そして話の語気、心に優しさが欠け、道理を言っても「厳しい指摘」になってしまいます。まるで「人」が道理を理論しており、大法弟子が法理を話すようには見えません。だから同修が反駁するのです。

 このような状態があり、自分の修煉はとても遅れていることを反映しています。また、旧勢力の要素が残っています。師父は「私に手伝っていると同時に、それらは自分を守るという私心を隠しており、みな他人を変えようとしていますが、自分を変えたくありません。皆自分に触れたくなく、ひいては自分が執着して放さないものを最大限に守っています。」(『北米での巡回説法』)とおっしゃったのです。

 それから、私は配布する資料がなくなった時に手書きしていました、できるだけ綺麗に書いて、美しくみえるようにしましたので、字がますますきれいになりました。出張の時に私は他のいくつかの大都市に行って、廊下に大法の真相がないことを発見したら、とても惜しく思い、それで書き始めました。

 師父の按配に感謝します。同修の反駁に感謝します。このようなことがあるからこそ、自分の執着心に気付き、さらに修めて取り除き、自分の道を正すことができるのです。

 同時に、新、旧宇宙の道理にかかわらず、国民全体が迫害に反対し、最後に迫害が恥の中で終了することが決まっていると私は悟りました。それでは、大法弟子はどうして主役を演じず、どうして真相をすべての場所に現れさせないのでしょうか? どうして真相を説明するときに各種の形式を利用せず、更に多くの人を助けて奪還しないのでしょうか? また、一部の廊下の壁に何もなくて綺麗なとき、書いてしまうと世間の人から反感をかうことを心配する必要はありません。「万(よろ)ず古(いにしえ)の事 法の為に来る」(『洪吟(二)』)、あなたは心からこの中の住民のために考え、本当に一心に書いていれば、世間の人は感じることができ、受け入れることができます。もちろん、方法はもっと考えてできるだけ円満にしたほうがいいです。

 ちょっとした体得であり、妥当ではないところはご指摘お願いします。

 2009年1月23日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/1/4/192787.html