日本明慧
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謝恩

—チケット販売での体得


文/海外大法弟子

(明慧日本)神韻ニューヨーク芸術団の公演は無事終了しました。公演初日の夜、私は劇場内の満席の客を見て感動の涙を流さんばかりでした。ウェブサイトで観衆のフィード・バックを読んで、私は救われた人のために嬉しく思い、大法弟子の全体的な無私の奉仕に感動し、心の中は師父の広大で慈悲な恩に感謝する気持ちでいっぱいでした。

 数カ月のチケット販売の過程を振り返ると、謝恩の気持ちでいっぱいです。師父がこのような機会を与えられたことに感謝し、このような方式で修煉を向上させ、このような方式で縁のある人を私の所へ連れて来られた事に感謝します。現地の同修の全体的な協力に感謝し、皆が全体的な心性の向上の中で昇華しました。

 全体的に心性が昇華する過程は、皆それぞれが自分自身の修煉と向上の過程です。次に私はチケット販売での体得を少しお話しします。

 一、今年のチケット販売の中で、最も深く体得したことは全体的に協調し合い、正念がとても強くて、互いに円容、協力がよくてき、チケット販売の全過程の中で内に向かって探すことができ、良い修煉の環境を作りました。

 二、同修の手伝いと交流で私はとても助かりました。私自身にとっては、言葉の障害があるので最初上手く言えないことを心配して、チラシ配りにでも行けばいいだろうと思っていました。しかし今年のチケットの枚数が去年の倍に増えたため、更なる多くの同修が直接チケットの販売に参与しなければなりませんでした。「修は己にありて、功は師にあり」(『転法輪』)私は人を救い済度する心を持っていれば師父がきっと縁のある人を連れて来られると思いました。そして集団の交流でも私は大いに啓発を受けました。

 私はチケット販売の中に学法修煉の重要性をよく感じました。私自身の条件に合わせて、出来るだけ神韻の紹介資料を覚えて下手な英語で補いました。そして同時に発正念をして恐怖心を取り除き、全体的な強大な正念の支持に支えられ、また、たくさんの同修の異なる形式での助けで、私はチケットの販売を突破することができました。しかしまだまだ足りないですが・・・。

 三、チケット販売の中に自分を実証する心があってはいけません。ひとつのチケット販売所は一つの小さな全体であり、互いに協力し合って、強大な正念で支持をすることが販売の大前提であると思いました。(実は人を救い済度すること)同じ販売所でない事や、誰が何枚売ったか等を強調しすぎではいけません。実はそれも一つの全体の下で共に達成できた事なのです。他の空間で皆さんが発揮した力は私達の肉眼では見えないものであり、最終的にはすべて師父がされた事です。師父は『転法輪』中で「あなたが人に動作を教える時、その人が突然『わたしにも法輪(ファルン)があった』と言えば、あなたは自分が植えつけたと思うかも知れませんが、それは違います。皆さんにこのことを話しているのは、その執着心を起こさせないためです」と言われた通りです。

 私達がこの方面に執着した時に、他の空間の中で同修間に間隔が生じ、功能が制約されてしまいます。それにともなって現れるものは、名利心、競争心、嫉妬心、自己を実証する心が気付かないうちに芽生え「学んで比し修して比す」と勘違いしてしまいます。

 四、チケット販売の中で、本当に自分の浄化、及び発正念がとても重要だと体得しました。チケット販売は行脚のように、各種の人に出会うことが出来ます。自分が心性をしっかり把握して、随時によくない思想と観念を駆逐し、衆生が救われる妨害の要素を取り除いて、慈悲にすべての人に対応することが要求されます。自分の心理が落ち着いて、「私はきっと貴方を救う」と純粋に念じることが出来たら、販売もうまく進めることができると感じました。本当にたくさんの言葉は要らず、人々はひたすら買いにくるのです。しかし歓喜心が起きたら、チラシさえも配れません。我々が自分を浄化して、法の要求に従えば法の威力はきっと現れ、師父も縁がある人を連れて来られます。私達が各種の執着心を起こしたら衆生が救われることを阻止してしまうでしょう。

 チケット販売の全過程は言わば自分の執着心を絶えず取り除く過程であると切に体得しました。

 ある日、スーパーマーケットの中で販売した時に、ある若者が私の方へ来ました。私が神韻の公演を紹介すると、徐々に彼の顔が私の顔に当たらんばかりになり、目つきも変わりました。しばらくして、もう1人の西洋人男性が歩いてきて私達のコマーシャルを見て私に笑いながら「この公演はきっと素晴らしいだろうが、私は独身です。中国人の彼女を作って一緒に見たいので、あなたは私に付き添ってくれませんか?」と話しました。その時私はとても気分が悪くなりました。今日は一体どういうことなのか? なぜこの様な人ばかりと出会うのか? と考えました。修煉の中にいかなる事も偶然ではありませんので、私は警戒し始めました。それで私は自分の空間場の中の色欲の要素をきちんと取り除きました。それから二度とこのような事はなくなりました。

 私は中国人に対して更に関心を持っており、彼らが救われることを望んでいます。しかし中国人が中共の嘘に害された影響は最もひどく、私の前に現れた中国人も色々な人がいます。

 ある日、中国人男性が私の目の前を通ったので私は微笑んで彼に宣伝ビラを差しだしました。しかし彼は手を振って私の顔をぶつような真似をし、さらにとても汚い言葉をはきました。私の心は動じました。私の表情は依然として微笑んでいましたが、しかし心の中では「この人は本当に可哀相ですが受け取らないことも話を聞かないことも自分の選択です。師父は半分の人が救えないとおっしゃいましたから」と思いました。この考えが頭の中で閃いて、即時に私は自身に強い怨恨の心が存在していると判明しました。私は本当に内心から彼に同情し、彼が嘘に騙される事に同情し、彼が救われることを望んでいたのではありません。実際は私に対して不善をした時に怨恨の心が起きてしまい、その上心の中では彼が淘汰されることを少し期待していました。私は自分の悪い念に驚きました。その時に自分にはとても悪い念が隠されていた事を自覚しました。このような心理で人を救うことができるでしょうか?!

 慈悲は法に同化し、人心と情を放下した上で修めるものです。事をするいかんは精進と修煉に代わることは出来ず、その過程の中で自分の心性を向上するいかなる機会をも見逃さない事こそ精進と修煉だと思います。

 私は自分の心性をしっかり守るように注意し、出来るだけ全てのマイナスの考えを抑えて、頭の中で「真・善・忍」に合わない全ての念を発正念で取り除き、同時に私たちの周りを通りすぎる人々に対して慈悲の念を発しました。私は心から彼らの主元神に対して話しました。「神韻を見なさい、これは未来に入る入場券です、あなた達が救われる事を期待しています。決して機縁を失わないでください」。

 それから次第に、どのような人と出会っても自然に穏やかな心を保つ事が出来て、人心に動じられなくなりました。同時に、「視ても見不(ざ)れば、迷わ不(ず)惑わ不(ず) 聴いても聞か不(ざ)れば、其の心乱れ難し」(『洪吟』〈道中))に対して更なる理解を深めました。それは境界の現れであり、大法に同化した後の本性の自然な表現です。

 ある日の午後、身なりの良い女性が私に近づいて、中国の北方訛りで話しました「チケットは完売しましたか?」私は「もう大分売りました」と答えました。「早く完売させましょう、お手伝いしましょうか?」と言われて私は感謝してから訊きました。「あなたはチケットを買いましたか?」彼女は「すでに買いました。去年は間に合いませんでしたが公演がとても良いと聞いたので今年は早めにチケットを購入しました」私は「あなたは芸能人に見えるけど」と言いました。彼女は自分が若い時に国内の演芸団にいたことがある、そして私達に早くチケットを完売して欲しいと話しました。彼女の後ろ姿を見て、私は大変嬉しく思いました。

 店内での販売では、毎日すでにチケットを買った人々に出会います。彼らはいつも私達の周辺を通る時に、嬉しそうに「チケットを買っていますよ」と話してくれます。ある西洋人の老人はここでチケットを買いました。彼はほとんど私に会う度に、両手を伸ばして握手し、そして「ありがとうございます」と言います。彼の元神の分かった面は自分が助かったことを喜んでいると思いました。

 店内での販売最終日に、私は心を静めて発正念をした時に、他の空間に気勢が広大で、極彩色の美に輝く宮殿が私の目の前に現れました。全てが素晴らしくて、神聖でした。これは師父の私達に対する激励である事が分かり、そして謝恩の気持ちが湧いてきました。師父が私達大法弟子のためにこのような機会を与えられ、修煉を向上させられ、すべての衆生が助かるために機縁を創られたのです! 私は心から師父に「ありがとうございます!」と言いました。

 毎日発正念を堅持して、衆生が助かることを妨害するすべて要素を取り除いて、師父に加持していただき、救うべき衆生を全部連れてきてくださるようお願いしました。同修の間の交流もほぼこの話題でした。全て自然でした。今思い出すと、当時現地の学習者達は衆生を済度すること自体を生活の中の第一位に置き、学習者全体の心性が向上したら、大法の威力は自然と現れ、チケットも自然に売れるのです。 

 もう一つのストーリに私は感動しました。チケット販売の中で知り合った友達がいました。以前彼女に神韻の公演を紹介した時に、興味がないと言われて、それからずっと回避されていました。彼女は神韻の報道と観衆の熱烈なフィード・バックが大紀元新聞に掲載された事を見て、積極的に電話して来て、私に神韻公演の事を尋ねました。自然に私達は法輪功の真相、三退の重要性に言及しました。彼女に「三退を手伝いましょうか?」と聞いたら、相手は迷いなく承諾しました。私は彼女が救われた事を嬉しく思いました。同時に神韻公演が衆生済度に果たした作用を理解しました。また師父が衆生を済度する苦心及び洪大な慈悲を体得しました。

 この数カ月のチケット販売の過程を振り返ると、私の心に残された二文字ははっきり─「謝恩!」と表れました。

  以上、不適なところがあれば、ご指摘をお願いします

  2009年1月23日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/19/193758.html