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吉林省:董鳳山さんは四平刑務所で殴殺された

(明慧日本)吉林省松原市の法輪功修煉者・董鳳山さんは不法な裁判で、9年の判決を言い渡された。2008年10月23日、吉林省四平市刑務所に送られ、6日後の10月29日、刑務所から董さんの妻に電話があり、董さんが危篤状態だと伝えられた。妻はすぐ刑務所に駆けつけたが、刑務所側から董さんはもうすでに「病死」したと教えられた。現在得た情報によると、董さんは四平刑務所で「教育監区」の責任者・カク玉林の指図で陸占豊、王国祥、陳闖、王彦双、韓双、邸少全などにより殴殺されたという。

 2007年10月13日、董さんは松原国保大隊と松原寧江区2分局に家を差し押さえられ、連行された。当時の董さんはある都市で家を借りて住み、アルバイトをしていた。連行されて十数日後、董さんの妻と2人の親戚が一緒に董さんが借りていた家を見に行ったが、ドアを開けてすぐに待ち伏せしていた3人の警官にカバンを奪われ、公安局に強制連行され、野蛮な尋問をされた。中国共産邪党は妻と2人の親戚が法輪功修煉者ではないことを確認した後、妻に内容の分からない紙にサインを強要し、釈放した。

 董さんは不法に松原市善友留置場で迫害され、その間、残虐な拷問で苦しめられた。その後不法に9年の判決を下されたが、その判決の過程は一切公開されず、家族は全然知らなかった。董さんは上訴したが、裁判は現判決を維持した。2008年10月23日、吉林省四平市刑務所に送られ、間もなく6日後に死亡した。刑務所側は「董さんが当刑務所に来た当日、煉功のことで刑務所の受刑者と論争を起こし、翌日の朝、食事をしないで、刑務所のセメント工場に労役に行った。昼になって、突然腹痛があり、刑務所の病院に送り治療したが死亡した」と説明した。

 家族はこの説明を受け入れられなかった。なぜならば、もし董さんが刑務所に来た2日目に病院に送られたとしたなら、なぜ家族に通知しなかったのか? 家族は「鳳山は持病がなく、よく食べ、よく飲み、よく眠る人で、問題はまったくなく非常に健康的だった。四平市刑務所に来る前の10月22日、妻と松原市留置場で面会した時は良い状態だったのに、6日後突然『病死』するのはおかしい。何の病気で亡くなったのか?」と疑問を持っている。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2009年1月26日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/26/194209.html