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師と法を信じ 強い正念で病魔の難関を突破


文/重慶の大法弟子 ・双瓊

(明慧日本)私は1998年から大法を修煉し始めました。1972年から1998年まで、私は多難で、さまざまの病気を患っており、肝臓病、胆結石、腎臓炎、脳血管障害などがあり、まるで自分が薬箱のようで、費やした金も限りなく、体重は40㎏未満でした。舅と姑は私が好きでなく、夫も私が嫌いでした。私は苦しみ、それは言葉で表現できないほどでした。1998年に大法を修煉してから、師父の加護のもと、私は病気が一掃され全身が軽快になり、体重も50㎏以上に増えました。

 しかしある時、私は他の空間の邪悪な生命に、業力と執着心があることを理由に迫害されました。2006年、私は突然全身の調子が悪くなり、引き続いて、右足が激しく痛み、歩くことができず、じっとしていても痛くてたまりませんでした。夫は恐れ、肝臓病が再発し、肝臓癌じゃないかと心配しました。夫は病院に行って検査するように言いましたが、私は恐れる必要はない、私は病院に行きません、私は死なない、私は大法弟子であり師父に護られており、師父しか私を救えません。師父は私達すべての大法弟子を地獄の名簿から除名してくださったので、閻魔王は大法弟子の命を取ることができず、これはきっと旧勢力の妨害と迫害で、私はそれらを全面的に否定し、黒い手と卑しい鬼の妨害をすべて解体すると言いました。

 痛みがとても我慢できない時に、私は師父に、旧勢力が弟子を強引に連れ去ろうとしていますが、わたしは決して承知しません、私はきっと師父が迎えに来られるのを待っています。いかなる神、悪魔、人も私を左右する権利はありませんと言いました。そして師父に言われた「法をよく勉強する」、「内に向かって探す」、三つの事をしっかりすることを常に銘記していました。

 邪悪な病魔が私を殺そうとした時に、私は思い出しました。師父は「皆さんの苦は執着を放棄したくないときだけ感じるものです。『私はなぜこれほどつらいのでしょうか? なぜいつも私をいじめる人がいるのでしょうか? 私の体はなぜいつも業を滅しているのでしょうか?』という情況です。人間はどうしてもこれらのことを放下することができません。最大限にどれほど放下することができるのでしょうか? 念が正しく本当の大法弟子らしくなることができるのでしょうか? 正々堂々として自らを修煉者として見なし、如何なる情況下においても執着を放下することができ、自分を常人と違った大法弟子として見なすことができれば、全てが変わると私は信じています」(『2004年米国西部法会での説法』)と説かれました。

 師父のこの説法は私を棒喝しました。私の病根は師父がとっくに取り除いてくださっており、今はただの仮相であり、旧勢力の「試練」の口実で、私が師について法を正すことを妨害し、私を殺そうとしています。私は法を学び、心性を修め、真相を説明し、衆生を済度しなければなりません。私はきっと自分に漏れがあって、旧勢力に隙に乗じられていると思いました。これでは駄目です。私は断固として旧勢力に隙に乗じられず、旧勢力は私を妨害する資格はありません。私が旧勢力を一掃すれば、旧勢力は私を迫害することは許されません。師父はすべての旧勢力の按排を認められていないので、大法弟子は同じようにそれを認めず、直ちにそれを解体しなければなりません。私は大法弟子であり、師父に按排されており、誰にも動じられてはなりません。

 こうして、私を1カ月あまり苦しめた病業は、師と法を信じる強大な正念の下で徹底的に解体されました。

 次元が限られており、不足のところは、同修の慈悲のご叱正をお願いします。

  2009年1月26日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/1/22/193937.html