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兄弟2人が労働教養を科され、高齢の両親は救援を呼びかける

(明慧日本)山東省濱州市の中国銀行の職員で、法輪功修煉者・喬宝明さん(42歳男性)は2008年8月27日、仕事中、市「610弁公室」の丁国瑞(住宅電話0543-3300790)、張自正(住宅電話0543-2115168)、曹楽堂らに連行され、家に侵入された上に不法に2年の労働教養を言い渡された。喬宝明さんの弟・喬宝強さんも法輪功修煉者であり、2008年5月に不法に連行され、労働教養を言い渡された。今兄弟2人は不法に山東省第二労働教養所に監禁されている。重病でベッドに横になったままの父親の面倒を見る人はいない。

  喬宝強さん、喬宝明さんの母親・董培蘭さんは兄弟を釈放してもらうために、奔走している。以下は董さんの告訴状である。

  私は今年72歳で、山東省濱州市機関病院の定年になった副主任医師です。医師の私は、色々な病気にかかり、医師に見てもらっても治りませんでした。11年前、私の夫は心筋梗塞と多発性脳血栓にかかり、2005年9月にまた脳溢血にかかりました。脳溢血を治すために、いくつの器官は衰弱し、病院ではもう治せなかったので、退院し、家へ帰らされました。後に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えることにより、体が段々と回復し、生活も自立できるようになりました。私は法輪功を修煉し始めて、体も回復しました。2人の息子は両親の体が良くなってきたのを目にして、彼らも相次いで、大法の修煉に入りました。

 2007年3月1日、上の息子の喬宝明が同修と交流した際に、邪党の不法組織(610弁公室)に連行されました。留置場に1カ月拘禁されてから、保釈され、期間は1年間でした。この1年、610弁公室の連中は絶えず嫌がらせをし、特にオリンピック前とオリンピック中、毎日嫌がらせをし、私たちは毎日落ちつかず、精神的に大きな傷害を受けました。オリンピック期間中、夫は熱が出て、入院しました。宝明は昼仕事先で警官に監視され、夜は、病院で父親を看病する時、また監視され、病院のモニターで私たち親子の行動はずっと監視されていました。

  2008年8月27日午前10時ごろ、2人の女性が名前も告げず、何の用件なのかも言わないまま、ドアの外で、「あなたの家の台所のスイッチが働かなくなった」と言い、私が見に行ったところ、正常でした。また2人は「あなたの家の水道の水が漏れ、下の家まで流れた」と言い、下の階に住んでいる人に電話をかけて聞くと、そんなことはないと言いました。その2人はまた「ある人があなたの家のことを警察に告発した」と言いました。彼女たちはただ人を騙そうとしていると思って、ドアを開けませんでした。20分後、7人が仕事中の宝明を車に乗せ、家へ来ましたが、ドアを開けませんでした。そこで、彼らは宝明を連行して留置場に拘禁し、当日の昼間に不法に宝明の家を捜索しました。夜の6時半ごろ、嘘をついて私の家に入り込み、捜索して家財を奪い去り、今だに返していません。

 このことが起こる前に、下の息子・宝陽は、仕事先の濱州四中の学生に法輪功が迫害された真相を伝えたために、不法に労働教養を科されました。このことは後で、ネットで暴露しました。(2008年3月1日、3人の悪辣な警官が私の家に押し入り、不法に宝陽を留置場に拘禁し、30日間迫害した。連行したのは、尚文豪、丁国瑞、曹楽堂など。2008年5月6日午前8時頃、宝陽はまた共産邪党に学校で連行され、労働教養を科された)。

  宝明は留置場での1カ月間、共産邪党(610弁公室)や留置場の悪辣な警官たちに拷問されました。そして、以前宝陽が迫害されたことと、今度宝明が迫害されたことが暴露されたことを宝明がしたことにさせました。宝明は法輪大法の修煉を放棄しないために、中共の役人は酷く怒って、宝明に不法に2年の労働教養を科しました。

  労働教養所で、宝明は信仰を放棄しないために、「小号」に閉じ込められ、迫害されました。今になっても電話をかけさせないし、家族に会わせないので、どんなに迫害されているのか、本当に心配しています。

  兄弟には小学校に行っている子供がいます。父親はもう76歳で、重い病気があり、ベッドにずっと横になっています。世話をしてあげる人はなく、毎日2人の息子の名前を呼んでおり、つらい日々です。それだけではなく、邪党はまだ、私たちに嫌がらせをしたり、私たちの電話を盗聴したりしています。私たちは毎日共産邪党の「赤い恐怖」の中にいます。

  私の良い家庭は、この様にして、ばらばらにされました。今2人の息子は不法に山東省第二労働教養所に拘禁されています。宝明は7大隊、宝陽は8大隊にいます。今まで、家族に会わせたことはありません。

  良知ある人々に救援の手を差し伸べていただきたく、ここにお願いいたします。 

  2009年

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2008/12/28/192435.html