日本明慧
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内に向けて探す


文/遼寧省の大法弟子

(明慧日本)私は1998年7月に法を得てから、つまずきながらも今日まで辿り着きました。修煉する前の身体は弱く、修煉し始めてから身体は次第に回復するようになり、 全身が無病の状態でとても軽やかになって、師父の説法の中にあったように、いくつかの功能が私自身の体に現れてきました。私が法を得てちょうど1年になった時、邪悪な中国共産党が気が狂ったように迫害をし始めました。私と夫は人々や政府に真相を伝えたため、私たちは迫害を受け、しかたなく路頭に迷うようになりました。恐れる心と様々な執着心を取り除かなかったため、邪悪に隙に乗じられ、私と夫はそれぞれが不法に牢屋に入れられました。私は迫害されて全身麻痺状態になり、最後の一息でやっと家に返され、夫は今なお不法に拘禁されたままでいる。

 私が家に返された後、同修たちは次から次へと私を見舞いに来てくれました。みんなは私の様子を見た時に涙を流しました。その時の私は、迫害によりすでに人の顔かたちがなくなり、やせて骨と皮だけで、話をするのはとても骨が折れ、すべての常人に、私はもうおしまいで数日しか生きられないと言われたからです。私が同修たちを見た時、心の中は一枚の窓が開けられたかのように、どれだけ嬉しかったかは言うまでもなく、私は同修に、「私は死にません。私は法を正す時期の大法弟子ですから、立ち上がらなければなりません。私は健康な身体で三つのことをしっかりと行い、さらに多くの衆生を救い済度しなければなりません」と言いました。同修たちは私の言うこと耳にして、みんな心を固めて、「そうですね、あなたは早く元気になって先史の大願を完成しなければなりません」と言い、そしてみんなで一斉に正念を発して、法を学び始めました。

 同修たちは生活の上で私に多方面から助けてくれ、法を学ぶ中で、私は自分が旧勢力の手配を全面的に否定することをやり遂げなかったため、あるはずのない迫害をもたらし、大法にある程度の損害を与えると同時に、子供にも苦痛を与えたと分かりました。私は自分のした良くないことを知っていて、大法の弟子にふさわしくなく、ついに「もう師父は私を構ってくれないでしょう、もう師父は私を構ってくれないでしょう」と泣きながら言いました。この時、側にいた同修の孫である5才の子は、急いで私に、「お婆ちゃん、泣かないで、師父は見守ってくれます、師父は見守ってくれますよ」と続けざまに言いました。また同修は、「もう泣かないで、師父はすでに子供の口を借りてあなたに教えているではありませんか。師父はあなたを見守ってくださっているのに、あなたはまだ目覚めません。心性を早く高めましょう。自分の内に向けて不足を探せば、きっと早く立ち上がることができるに違いありません」と言いました。

 そこで、私は内に向けて探し始め、半身不随になった時の苦痛から、私はいつも子供と同修との間で起きていた対立を思い出しました。その時は、自分の内に向けて探しておらず、ただ外に向けて他人の間違いを探すだけで、自分が1人の修煉者で心性を守るべきであることを考えていないし、自分が麻痺状態でベッドの上で大小便を漏らして、食事をしても一口一口食べさせてもらって、すでに人にどれだけ大きな圧力と苦痛を与えたかも考えないままで、ひたすら自分のことだけを考えていました。いつも自分がどうのこうの、いかに苦痛であるかなど、どれほど利己的な心でしょう。このように思い付くと、私は子供に録音を流して師父の説法を聞かせて、同時に自分にも厳しく要求し始めました。期間中に私をつれて宿泊所を離れようとする同修がいて、刑務所の人が半年も経たないうちに調べに来るからだといいます。その時、私は離れるつもりはなく、家を離れて避けて行くのは恐れる心だと思いました。師父は恐れる心がなければ恐れる要素がなくなると教えられたことがあり、これもちょうど恐れる心を取り除くチャンスなのではないかと思いました。彼らにしっかりと見に来させて、私は薬をのんでいないし、注射もしていません。各種の治療も受けていなくても治っていることを見てもらい、彼らに大法のすばらしさと不思議さを知ってもらうと同時に、あれらの人を救い済度したいと思いました。

 3カ月後、私の右手の中指が少し動き始め、その時から私は少しでも動けるならできるだけ動くようにして、自分を患者と見なしていませんでした。師父は、「物事の善し悪しは人間の一念によるものである」とおっしゃいました。私はいつも子供と同修に私を支えてもらって座り、その時の私の頭はまったく持ち上げられなくて、迫害により頸椎がずれて全身半身不随になってしまったのです。私は座ることさえできれば功法を煉るようにしています。

 私はかつて他の人に救いようがない人と言われましたが、今私は奇跡的に立ち上がり始めて、しかも自分で歩くこともできるうえ、いくつかの家事もすることができます。私の情況を知った人は皆その不思議さに感心して、皆、大法のすばらしさを知るようになりました。

 私は、師父が私のためにすべてを引き受けてくださっていると分かっています。師父が私を見守ってくださらなければ、私は今日立ち上がることはできません。私は自分をよく修めて、しっかりと三つのことを行って師父のご恩に感謝するしかなく、師父のご苦労を減らし、より多くの喜びと安心を捧げ、師に遵って法を正す最後の段階で、旧勢力の手配を徹底的に否定することをやり遂げ、1人の堂々とした大法弟子として、しっかりと師に遵って行きます。

 2009年2月1日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/26/194207.html