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携帯電話で真相を伝える修煉過程(一)


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)偉大なる師父にご挨拶を申し上げます。同修の皆さん、今日は!

 私は一九九八年七月に法を得ました。大法をまだ完全に認識していない時、迫害が始まりました。師父が加護してくださったおかげで、つまずきながら何とかして今日まで歩んできました。「師恩を偲ぶ」という小冊子の中で、同修たちが師父と一緒にいた時の幸せな経歴を読むたびに、私はいつも思わず涙を流して、それらの同修たちが羨ましくてたまりません。自分がよく修めていないから、特に書くこともないと思って、法会に参加するつもりはなかったのですが、「明慧週刊」351号に載った文章の中の「我々を子供と例えると、養ってくれた母親に対して全く何も思わないはずがないのではありませんか。どのように良い人になれるのかを教えてくれた母親に理性的な認識を持っていないはずがないのではありませんか」という段落を読んで、いろいろと考えさせられました。確かに、自分の体験を書くのは自分を証明するためではなく、大法を実証するためなのです。だから、私も誇りを持って自分の修煉体験を書き、大法を実証し、師父を称賛したいと思いました。師父が守ってくださった一コマ一コマを思い出すと、私は涙でいっぱいです。師父は地獄からすくい上げてくださり、きれいに洗ってくださり、どのように良い人になるかを教えてくださり、そして、どのように人から神に修めて、成就できるかを教えてくださったのです。私は急に気が付いたのですが、私は別に書きがいのあることがないのではなくて、実は一冊の本が書けるくらいいっぱいあるのです。

 私は大都会に生活していますが、大法が迫害されて以来、同修達が弛まず真相を伝え、それから師父が法を正すことを推し進められるに従い、環境がわりと緩やかになりました。四川大震災が起きてから、あっという間に救い済度される機縁を逃してしまった衆生を目にして、我々は引き続き地元に真相を伝えると同時に、携帯電話で大法弟子が比較的に少ない辺鄙な地区に向かって真相を伝えるようにしました。北京オリンピックが開催される間、一部分の同修はまたに真相を伝える重点を北京に置き、集中して北京地区の邪悪を取り除くようにしました。今日は主に北京地区に向かって携帯電話で真相を伝えるという修煉体験を報告させていただきます。

 一、同報通信

 最初は辺鄙なところへショートメッセージを送信して真相を伝えましたが、同修達は邪悪にショートメッセージを遮られないように色々な経験を積み、穏やかにやっていたので、返信したメッセージも大体が積極的な内容であり、中には直接「三退」を頼んでくれた人もいます。しかし、後で北京へもショートメッセージを送ろうかと一人の同修が提案したら、北京は邪悪の巣窟なのだから、もしうまくいかなければ、我々のわりと穏やかな環境も破壊されて、かえって辺鄙なところにいる衆生を救い済度することにも影響してしまうのではないかとみんなは心配して、しばらくの間迷ってしまいました。しかし、集団で法を学び、交流することを通して、人心で物事を見るのではなく、法に則って認識すべきであり、我々の送った一通一通のショートメッセージは皆、大法弟子のエネルギーと信息が付いており、他の空間ではつまり邪悪を取り除き、解体しているのです。色々な妨害があるだろうが、師と法を信じさえすれば、乗り越えられない関はないと皆は考えを変えるようになりました。

 師父は「皆さんが法を実証し、衆生を救い済度するという願いから行うことは、私はすべて認めるのです。しかも、私の法身にしても、神にしても、あなたが行なってさえいれば、行なったことが更に偉大になり、更に素晴らしくなるようにあなたを助けます。」(『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』)とおっしゃいました。人類の歴史は大法弟子が衆生を救い済度するために按排されたのであり、我々は必ずその主役を演じるようにしなければなりません。

 「法輪の転る時必ず狂有り」(『洪吟 二』「下塵」)。果たして我々はショートメッセージを北京へ送ったら、蜂の巣をつついたように、元々怯えていた邪悪は大騒ぎとなりました。この空間の表現としては、我々の地区で電話局の携帯電話に対する封鎖が一段とひどくなったということであり、ほとんどの携帯は何分、長い場合には十数分かけたら使えなくなり、さらにどんな時間帯でもショートメッセージの送信ができないこともあるのです。やむを得ず、しばらく手を止めて様子を見る同修もいました。しかし、そのころ、師父の次の説法がいつも私の頭に浮かんできました。「法を実証する多くのことにおいて、それをやり遂げる方法はないのではなく、いくら難しくても皆さんが歩む道があり、その道は比較的に狭いのです。皆さんは必ず正しく歩むべきであり、少しずれても、間違ってもいけません。しかし、皆さんにやはり歩む道があります。」(『2004年ニューヨーク国際法会での説法』)そこで、三界のすべては法のために来たのである以上、大法弟子が法を実証する道は旧勢力が思うままに妨害すべきではありません。ショートメッセージで真相を伝えるという道は狭いでしょうが、基点を正しく据えさえすれば、必ずますます広くなっていくに違いないと私は固く信じました。

 当時の私は出征する兵士のように、邪悪と決戦していました。毎回ショートメッセージを送る前に、私は師父の肖像の前に立って、「弟子の私は衆生を救い済度したいです。正念を加持していただくようお願いします」と師父に頼みました。それから、邪悪に妨害されないように神通で自分の携帯電話をよその空間でカバーをかけ、電話代が切れるまでに、強大な念力で携帯電話に向かって「滅」と唱えながらショートメッセージを送るのです。毎回送信が終わった後、大勝利を取ったように感じましたが、同時にとても疲れを感じていました。しかし、ある日、私は突然悟りました。なぜ私はそんなに緊張するのでしょうか。他の同修の携帯が封鎖されたからと言って、私と何の関係があるのでしょうか。それは他人の道を自分の参照にしたのではありませんか、それは求めることではありませんか。それは他の方面で邪悪を求めているのではありませんか。迫害されないことを執着するのも同じく人心ではありませんか。「無無く空無く東西(もの)無し 善無く悪無く出は極まり」(『洪吟 二』「無」)これこそ大覚者の境地ではありませんか。

 「真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。肝心なのは、何かをする時の心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです。」(『2002年度ボストン法会での説法』)と師父はおっしゃいました。それ以降、ショートメッセージで真相を伝えることにおいて、私は穏やかな心理状態で対処するようになりました。正念を持って送信するようにし、もし送信に失敗したら、すぐ法に則って内に向けて自分の人心や執着を探し、悪いことを良いことに変えるようにします。慈悲なる師父のご加護のもとで、私は順調に行っており、大体において料金が切れるまで送信したのです。またその過程で暴かれた人心も取り除くようにしました。

 一番印象深いのは次の二つのことでした。一つは、天気が暑いので、同修がアイスクリームを買ってくれました。しかし、食べ終わったところで、カードが使えなくなりました。すぐに私は自分の間違いを意識しました。出かける前に加護してくださるようにと師父に頼みましたが、正邪が戦う最中に私は享楽を貪り、この陣地に師父に渡してしまったのです。実は私はアイスクリームがとても好きなのですが、この人心が邪悪に付け入れられてしまったのです。私はとても悔しくて、師父に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。そこで、私は心の中で師父に向かって、「申し訳ございません。これから絶対にアイスクリームを食べませんから、もう一回チャンスをお与えください」と誓いました。それから、私はほとんどアイスクリームを食べないようにしてきました。何回か息子がアイスキャンデーを私の口の前に差し出して、「一口ぐらい食べて」と言っても、私は食べなかったのです。

 しかし、一回だけ食べてしまったことがあります。その日はとても蒸し暑かったのですが、私は何人かの同修と一緒に用を足しに出かけました。私たちは狭いマイクロバスにぎっしり詰まって座っていて、汗びしょりでした。途中で、一人の年配の同修が降りてアイスクリームを買ってくれました。師父に対して誓約したことを思うと、渡してくれたアイスクリームを返そうと思いました。しかし、せっかく買ってくれたのだから、返すのは決まりが悪いと思うし、師父に対して誓約したことを敢えて彼女に教える勇気がなかったものですから、とても複雑な気持ちでそのアイスクリームを食べてしまいました。しかし、後で思ったのですが、同じ修煉者ですから、善意を持って師父に対して誓約したことを教えてあげると、きっと理解してくれるはずです。つまり、普通の常人でも信用を守ることを大切に思っていますが、まして我々は修煉者であり、このような大事なことにおいて真面目に対処し、自分を厳しく律するようにしなくていいのでしょうか。このことについて、私は何回か転んで、回り道をしてからやっと意識したのです。だから、ここで書き出したのは同じ間違いを犯さないように自分を戒めたいからです。

 またある時、わたしは同修の甲と一緒に二台の携帯電話でショートメッセージを送りましたが、しばらくの間、七、八通の返信が来ました。返信した人に直接電話で三退を勧めようと思いますから、私は近くの公衆電話でもう一人の同修に手伝いに来てもらうように呼びました。しかし、電話をかけ終わってから二分も足りないうちに一台の携帯電話は送信できなくなりました。私はまだ悟らず、「大丈夫、まだもう一台の携帯電話があるから」と思ったら、すぐにもう一台の携帯電話も送信できなくなったのです。そこで、私は落ち着いて内に向けて探したら、自分の人心を見つけるようになりました。表面では手伝ってほしいと同修に電話をかけましたが、実はその裏に自分の歓喜心、自己顕示欲が潜んでいるのです。ほら、他の同修はうまく送信できないのに、私たちは二台の携帯電話で順調に送信している。この人心があるから、妨害されたのです。そこで、私は直ちに正念を発して、その人心を取り除くようにしました。自分の心理状態を正したら、新しいカードに取り替えて送信すると、今度はまた順調に進んだのです。

 全体で心性が向上し、それから、絶えず正念を発して邪悪を取り除くに従って、私たちの地区での同報通信の形で真相を伝える情勢がますますよくなってきて、携帯電話が封鎖された現象がとても少なくなりました。今までの道を振り返ってみれば、正に師父がおっしゃったように、「喜ばしいことに、皆さんは乗り越えてきました。道程で皆さんがどのような困難に遭ったとしても、振り返ってみると、それは大法弟子に対する煉磨に過ぎず、過程の中で皆さんは成熟させられ、人心を取り除き、最後に圓満成就に向かっていきます。これは即ち、皆さんが歩んできた道です。振り返ってみると、このようなことにすぎません。」(『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』)

 (続く)

 (明慧ネット第五回中国大陸大法弟子修煉体験交流会)

 2009年2月2日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/11/2/188777.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/11/19/102369.html