日本明慧
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法を実証する自分の道を歩き出す(二)

(明慧日本)私はずっと資料を配布していますが、しかし自分の住んでいる団地ではかえってあまりしていませんでした。ひとつは団地が密閉式で、保安がとても厳しく、1時間毎にパトロールしていて、住民は棟の電子扉が開いているのを見ると閉じるので、なかなかビルのうちまで配布することは容易ではありません。もうひとつの主な原因は、自分の恐れる心の障害で、保安と居住所帯がどうのこうのと思ったりして、人為的に彼らを自分の反対面に置き、その上まだ気がかりな心もあり、知っている人に会うことを恐れ、自分の近くで配布することを避けていました。法を学ぶことを通して、私は今生一緒にひとつの団地の中に住むことは、すべて縁であると認識することができました。彼らが今生ここで住むことを選んだのは、ここに1人の大法弟子が住んでいて、彼らに真相を教えることができるからなのに、私はこの責務を引き受けず、本当に恥ずかしく思いました。

  ある年の冬、大雪が降って、家を出て行くのも苦労するほどでした。しかし大法弟子としてはこのような天気を恐れることはないと思って、私は口実を作って外出し、大雪は膝までなく、私は一歩ずつ歩いて、鍵をかけていない電子扉を探しました。その日、私はいくつかの棟に配布して、手元にある資料をすべて出してしまい、全身ほかほかしました。私はこれらの衆生が真相を見る機会があることを喜びました。ある日私は掃除係の人が一連の鍵を持っているのを見かけ、心の中で、「師父、もし私に鍵があればどんなに良いことでしょう」と思いました。すると師父は私のその心を見て、私を助け、今私はすべての棟に入る方法を見つけました。方法を探し当てて、私はいくつかの同修と交流し、彼らが資料配布に私の団地に来るようにしましたが、いずれも成功しませんでした。

  私は、この辺はやはり自分でするべきで、私がここの環境を熟知しているからだと思いました。私は様々な小冊子と宣伝ビラをこしらえて、各家に配布し、小冊子と宣伝ビラをよく包装して、1回出し終わって2回出すようにしました。今ここに居住する人に会った時、以前のような恥ずかしく思う感じがなくなり、私はまたしっかりと行わなければならないと自分を促しました。師父は『2008年ニューヨーク法会での説法』の中で、「この世界の隅々にまでほとんど大法弟子がいます。皆さんはすべて大法弟子の最も偉大な責任を負っており、皆さんは衆生が救われる希望であります。皆さんが真相を伝えることにより、皆さんが世間で果したことと行なったことにより、多くの人々は救われました」と教えられました。私たちすべての大法弟子はそれぞれ一面の青空を支えて、自分の住む地域の衆生を救い済度する責務があるのです。

  資料を配り始めた頃のことを思い出すと、ある時、手元の資料が最後に一部残り、私が1台の自転車のかごに入れようとした時、突然大勢の人が通り、私はしばらくためらい、突然次のような一念が出ました。このようにし続けては、自分の威徳をどうやって積み上げるのでしょう。この一念が出たことに自分もびっくりして、どうしてこのような考え方が出て来きたのでしょうか?これは私のとても深いところに隠れた自分の私心の執着心であることを知っています。これは私が必ず直面し、根から抜き出さなければならないものです。師父は私たちに無私無我で、なおかつ他人を先に、自分を後にするという正覚にまで修煉するように教えられました。自分は衆生を救い済度することをしているにも関わらず、自分の私心が依然として存在することは、出発点が間違っています。法を学ぶことを通してこのような執着を認識することができ、実修する中で排除するようにしました。今はどんな事をしても、再び威徳を樹立するというような考えはなく、考えているのは、大法弟子としての責務のみなのです。

  時には資料を配布する過程の中で、投げ捨てられた資料を拾うことがあり、私はそれをまた再び配布していますが、しかし心の中はとても気分が悪いのでした。師父の、救いようのない人がいるので、これらの影響を受けないで下さいという教えを思い出しました。今私はとても落ち着いて拾い上げ、同時に資料を投げ捨てる人が次回助かる機会を大切にすることを希望しています。ときには警官を見た時恨んだり、大法が良くないと言う人を心から自分の対立面に置いたりしましたが、法を学ぶことを通して、大法弟子はただ人を救うだけで、彼らの今の状態は彼らが真相を理解しないためであり、まさに私たちが真相をはっきりと伝えて、救い済度する必要があり、常人の認識と状態はどうであれ、私たちはすべて救わなければならず、彼らが何を選ぶのかは彼らの自分の選択だと理解しました。

  大法弟子はそれぞれの家庭、仕事、社会とのつながりが異なっていますので、すべて縁のある人を救い済度し、すべて自分なりの法を実証する道を歩んでいます。私がこの高級団地に住むことは、ここの居住環境を楽しむためではなく、ここの衆生を救い済度するためなのです。私の働きで稼いだお金は自由にできるため、大部分は資料をこしらえることと資料点の寄付に用いています。これらは大法の資源で、大法が私に与えた能力です。私たち大法弟子は衆生を救い済度するためにこの世に生まれており、ただ邁進するのみです。

 (おわり)

  2009年2月2日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/1/25/194105.html