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黒竜江省鶴岡市:陳平珍さんが生前に受けた迫害事実

(明慧日本)黒竜江省鶴岡市の法輪功修煉者・珍平珍さん(58)は2006年2月12日、親族の誕生日パーティーを出てから行方不明になり、2月14日午後、鶴岡市警察署が出した「無名死体遺失」公告を見てからやっと、家族は陳兵珍さんの死が分かった。死体の検査によると、陳平珍さんの頭部には700ccの鬱血があり、片側の腎臓が破損し、口の両サイドには血痕が流れ、頸にも血痕が明らかにあり、片側に青い腫れがあった。手足は黒っぽくなっており、身に持っていた金と真相資料がなくなっていた。

 陳平珍さんが生前に受けた迫害

 鶴岡市東山区紅旗郡の陳平珍さんは、1997年より法輪大法を修煉し始め、心身ともに受益した。1999年7月20日から中国共産党が不法に法輪功を弾圧し始めてから、陳平珍さんは残酷な迫害を受けた。2004年4月に現地派出所に連行され、家宅捜査を強いられて、鶴岡市行政拘置場に監禁されてから鶴岡市第2留置場に移送された。

 留置場のなかで、陳平珍さんは両足に1メートルの長い棒を付けられ(留置場の受刑者に使う刑具)、両手に手錠を嵌められてその棒に付けられ、身体は90度の形になり、セメントの地べたに座らされた。こうして9日の間昼夜もそのままで大小便も他の法輪功修煉者に支えられて、便器を持って受けて貰わなければならなかった。

 その9日間、警察は陳平珍さんを寝させず、瞼を閉じた途端に水を身体にかけて、靴で顔を殴った。

 陳平珍さんの臀部は強制的に座らされたため、卵のようなマメが出来、その後精神も崩れてしまった。警察は彼女が何かの怪しい病気に罹ったと言いふらし、留置場の人はみな陳さんを敬遠した。こうなっても副所長の遊はゴム管(小白龍という刑具)を持って陳平珍さんを30回ほど殴打したので、背中全体は黒紫色になり、もともとの皮膚の色は全然見えなくなった。 

 最後に、陳さんは人事不省になりやっと手錠とその棒を外された。他の法輪功修煉者が世話をして、ご飯と水を細心に与えた。5日後になってやっと陳平珍さんは意識を取り戻し、人に支えられて少し歩ける状態になった。

 10日後、陳平珍さんは鶴岡市警察署に不法に2年の労働教養を科されて、カムス労働教養所へ移送された。

 陳平珍さんは労働教養所でいろいろ迫害を受け、長期間小さい椅子に座ることを強いられ、寝かせられなかった。拷問の「剣背負い」(両手を後ろに回して、片手が肩から下りてもう一つの手を鉄ベッドの横棒裏から回して手錠で嵌める。5分もすると全身汗いっぱいで両手が黒紫になり、手錠が肉に食い込む)を強いられ、片手が動かず両足も障害になった。

 陳平珍さんは迫害されて30キロあまりに痩せこけて、歩けなくなり、息子に抱かれて労働教養所を出た。陳平珍さんは回復してから2006年正月の時に殺害された。

  2009年2月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/27/194307.html