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福建省女子刑務所:李清清さんを虐待して死なせた事件の経緯

(明慧日本)法輪功修煉者・李清清さんは、2005年1月30日に福建女子刑務所から福安の家に戻る時、左手は上げることもできず、普通に歩く事さえ出来なかった。尾椎のところは腐って穴が空き、骨がはっきりと見えていた。それから半年後、李清清さんは無実の罪を晴らせないまま死亡した。

 李清清さんは2003年の1月28日、福建女子刑務所十一中隊に連行された後、信仰を堅持し、いわゆる中国共産党の強制「転化」を拒否したため、悪辣な警官に苦しめられた。悪辣な警官・李隊長から、大法を中傷するテレビとビデオを強制的に見せられ、そして45日間も立たせたままの体罰を加えられ、ずっと座らせて貰えなかった。最初は6日間ずっと両足で立たせた後、さらに続けて39日間ずっと立たせるという体罰を加えられた。毎日深夜2時まで立たせられ、ある時は一週間立ったままで昼食を取るように強制された。その後も李清清さんに奴隷のような過酷な労働をさせた。毎朝4時に起こし、夜12時まで靴を製造する仕事を強制した。

 李清清さんに信仰を放棄することを強制するがために、悪辣な警官はもっと残忍な手段を使った。2人の悪辣な女性警官は、李清清さんをオフェスに呼んで、電気棒で足に電気ショックを加えた。彼女は連続して2回も苦しめられたが、それでも大法に対する堅守的な信仰は動揺することがなかった。しかし悪辣な警官の虐待はますますエスカレートしていき、ある時は、李清清さんをある暗い部屋に呼んで、彼女の両手をまっすぐ上に伸ばして縛り、そして空中に浮かべて吊るした。両足のつま先が地面に触れるほどでの状態で吊るして6日間も虐待した。さらに両手を広げて縛り4日間も続けた。20日間の間は夜間だけわずか数時間しか寝かせなかった。そして左手を5日間縛り、夜間数時間の睡眠しかとらせなかった。ある時は35日間苦しめられた。李清清さんは10日間断食して、この非人道的な迫害に強く反対した。

 十一中隊の悪辣な警官は上からの転化指標を完了したものの、彼女が悪警官に協力しないために賞金を受け取れなかった。そのため恨みを抱き、もうすぐ釈放される囚人・彭木英をそそのかして李清清さんを暴行させた。彭木英は、李清清さんが入浴していて防備できないときに突入し、李清清さんを殴り倒して立ち上がれないようにした。

 絶え間ない迫害の中で、李清清さんは意識がはっきりせず、精神ももうろうとなり危篤状態に陥った。そのため福建女子刑務所側は責任を逃れる為に、家族に連絡して、李清清さんを連れて帰るように強制した。しかし李清清さんは、冤罪を晴らせないまま半年後にこの世を去った。

 2009年2月7日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/3/194753.html