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失踪した王道発さんは、警官に殴打されて苦しめられた

(明慧日本)黒龍江省鶴崗市工農区36委13組在住の王道発さんは鉱務局副会社の社員であったが、2003年8月7日に失踪した。家族4人で探したが、今でも消息不明である。
王道発さん


王道発さん(50歳男性)は、法輪功を修煉して人柄がよりよくなり、会社でも、近所の間でも人望がとても高かった。1999年7.20、大法が迫害に遭った後、警官らが数回にわたって家を撹乱して脅迫した。2000年12月27日、王道発さんは冤罪を着せられた法輪功のために、公平なことを言おうと北京に行った。ところが、王さんはハルピンの駅で連行された。28日には黒龍江省各地の40人の法輪功修煉者達が連行され、駅の10平米しかない小屋に閉じ込められた。人が多くて座れず立つことしかできない状態の中で、暑くて息苦しかった。

法輪功修煉者達は、小屋で1日中苦しめられた後ハルピン収容所に連行された。ハルピン刑警隊の警官らは、スタンガンでの電撃、縄、「開飛機」、びんた、ののしるなど多くの邪悪な手段で法輪功修煉者達を迫害した。王さんは最初殴られて蹴られた。その後、どこに住んでいるかを聞かれたが彼は答えなかった、警官は彼を窓のところにある暖房器につるして、ほうきで頭と顔を殴った。新しいほうきが壊れたからそれで終わる訳ではなく、さらにプラスチック製のハンガーで激しくたたき、警官が汗だくになるまで殴り続けた。

王さんは、顔を殴られて内出血をおこし腫れ上がった。それでも、警官はまだ残酷に迫害を続けた。暖房器から降ろした王さんを2人の警官が支え、1人は下品なやり方で股間を蹴り続けた。12月のある寒い日に、警官は彼の木綿の衣服を脱がせて地面に押し付け、多くの警官達は、王さんの身体を蹴ったり踏んだり、スタンガンで電気ショックを加えたりした。そして「どこに住んでいるのか? まだ修煉する気があるのか?」と聞いたが、王さんは答えなかった。そのため警官らは、さらなる邪悪な方法を使って苦しめた。彼の片方の手をベッドの脚に手錠でつなぎ、もう一方の手を、ベッドの先に同じく手錠でつないだ。手錠が肉に食い込んだが、緩めてくれなかった。

40人の法輪功修煉者達の多くは女性であったが、2000年12月29日から30日にかけて、全員が連行、殴打、電気ショック、タバコの火を身体に押し付けるなどの非人道的な迫害を受けた。

警官らは、王さんの妻・解秀栄さんを宙にぶら下げた。(身体は宙にぶら下がっていて、両足は地面から離れている)解さんは十数時間苦しめられ意識を失ってから降ろされた。解さんの手と肩は3カ月感覚が全くなく、自立の生活ができず歩くことも困難だった。当時鶴崗に、肩と手の自由が利かない4人の法輪功修煉者がいたが、鶴崗工農分局に連れ戻した後、警官・李樹江(工農分局副局長)、韓繼同、楊捨兇覆匹、7人が、解さんや弱い女性を囲んで殴った。髪の毛を引きずって壁にぶつけては、顔を殴り、また皮の靴で身体を蹴り、蹴り落としたら髪の毛を引っ張って起こして殴打した。鶴崗第一留置場で不法に3カ月間拘禁した後、八千元を強請り取った後夫婦を釈放した。しかし、その後も解放路派出所警官・呉建国などが電話で脅し続けた。

2002年4月21日の夜9時頃、王さん夫婦が休日の時、鉱務鶴東分局の警官ら6、7人が、王さんの家の門を壊して庭に侵入し、いかなる証明書もないまま、家をひどく荒らした。庭にある小さな倉庫までも荒らした。そして2人を分局に連行して手形と写真を強制的に撮った。しかし2人が警官らに協力しないので、当夜、王さん夫婦を鶴崗第二留置場に移した。4月21日〜23日、共産党市委書記の汚職役人・張興福は法律に代わって権力を使い、鶴崗市で非人道的な迫害を行った。彼の指示の下で、700人が不法に拘禁された。

4月30日、王さんを鶴崗労働教養所に連行した後、警官・齊彦偉は、4、5人の受刑者らに彼を殴打するように指示した。健康で性格の良い王さんは迫害され結核と糖尿病に罹り、がりがりに痩せこけた。労働教養所は、王さんが死ぬことを恐れて釈放した。王さんは帰ってからも両足が腫れて靴を履けない状態だった。今回も5千元を強請り取られ、派出所の警官らは撹乱し脅し続けた。

2003年8月7日に、王さんは失踪した。家族があたり一面探したが消息がわからず、生死は不明である。

(注):法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照

2009年2月8日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/1/23/193993.html