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仕事をする心を取り除き、真に修める弟子になる(一)


文/黒龍江省の大法弟子

(明慧日本)

  一、大法は私の人生を変えた

  1994年に法を得てから、ずっと師父に遵って意志強く前に進んできました。邪悪がどんなに宣伝をし、惑わせようとしても、私は一度も大法を疑ったことはありません。法を得る前は、病気の体を持っていました。ほとんど治療法もなく、治らない病気でした。法輪功修煉者が地元の町の伝授クラスで師父の説法ビデオを放映していました。第二講を聞いた時、師父は私の乳腺癌を取り除いてくださいました。9日間の講習が終らないうちに、全身の病気はすでに全部治っていました。何の病気もない感覚を初めて体験しました。体には使い切れない力があふれました。法を得たばかりの頃、体重はわずか40キロぐらいでしたが、法を得て4カ月してから60キロ余りになりました。そして、家事ができるようになりました。ですから、私の家族は皆、大法と師父に敬意を持っています。家族は合わせて11人です。この数年来、私がどんなことをしても、皆支持してくれました。黙々と協力してくれ、一度も不満を言ったことはありません。

  二、仕事をする心が生じた

  2000年から、法を実証するプロジェクトがだんだん多くなってきました。私は学法と煉功の時間さえ少なくなり、ほとんどありませんでした。当時、仕事を終えてから、しっかり学法と煉功をしなければならないと思うことがありましたが、その仕事が終らないうちに、また新しい仕事がきました。仕事ばかりをしていると、仕事をする強い心が生じ、自然に学法と煉功を二の次にしてしまいました。

  もともと私の家は人が多いので、事情も多いのです。そして私1人で解決しなければならないのです。事情を解決できる人は皆出稼ぎに行きました。しかも家計はきびしく、以前私に病気があった時、たくさんの借りをしたからです。

  この二つのことがあったので、私は忙しいあまり、学法と煉功はめったにしなくなりました。地域の協調者は私の状態を見て心配して、他の同修と一緒に私と交流しました。

  表面的には何も弁解しませんでした。しかし心の中で、「自分のことだけ考えてはいけません。たくさんの同修は人を救いたいのですが、資料がありません。どうやって救いますか、まだ自分の修煉ばかりを考えているのですか。あんなにたくさんの人がまだ真相を知らないのです。人を救うことを急がなければなりません。同修が配れる限り、私は資料を作ります」と思いました。その時、大きな資料点の同修が連行されたばかりで、私達は資料を受け取れるところはありませんでした。それで、私が資料を作り始めたのです。

  その時、私は旧宇宙の自我を考える観念を変え、他を先にして、自分を後にする覚者に修めるべきだと思いました。私は師を助け、法を正すために来たのです。世人を救うことさえできれば、私はどうでも良いと思いました。このような歪んだ考えを4年も持っていました。

  三、困惑した私

  邪悪は、本当に隙があれば乗じないことはありません。仕事をする気があるのではないですかと、あればあるほど、仕事を増やのです。結局、ある日、プレッシャーが我慢の限界を超えました。全てのことを自分でしなければならない、全てを自分でやるべきだと思うようになって、家と外のことを何からやればいいのかわからなくなりました。特に、家の近くに病業の関に遭っている同修がいました。彼女は精神が恍惚して、頭がはっきりしていませんでした。ですから、いつも私のところへ来て、一緒に法を学びました。私は、口では法を読んでいましたが、心は他のところへ行って、心を法に置いていませんでした。こうして時間を無駄にして、資料も間に合うように作れず、圧力はますます大きくなって、心が爆発しそうな気がしました。

  その時、心に法はなかったし、見えない千万本の縄が手足を縛り、前へ一歩進むのも難しかったのです。ある日突然、逃げよう、誰もいない所に逃げようと思いました。しかし、目の前にあるたくさんの事を誰に頼めばいいのですか、衆生を救い済度することだけは遅らせてはいけません。当時の状態はこのようでした。

  四、同修からの助け

  ある夜、私はある同修の家へ行って、私のことを話しました。同修は私に早く学法と煉功をしてください、このままではいけません、あなたがしている事を皆で解決しましょうと言いました。そして早く自分を修めるように励ましてくれました。私が家へ帰った後、同修はまた気になって、もう夜中だったのに、家へ来ました。彼女の家は私の家から遠いのです。彼女は「何か急いでやらなければならないことがあったら、全部私に言ってください」と言いました。私は半分印刷したばかりの週刊週報を出して、彼女に渡しました。そして、彼女にそれはある地域の80人あまりの資料だと教えました。彼女は「その地域のことをあなたはもうしなくてもいいです、絶対に毎日学法と煉功をしなければいけません」と言ってくれました。

  同修が帰った後、私は涙が止まりませんでした。自分が良く修めない上に同修までを巻き込んでしまいました。彼女には彼女のたくさんの仕事があるのです。

  ある夜、1人の協調者が私に、彼女の家に行って住むように言いました。2人で一緒に学法、煉功と発正念をしました。資料を作る時、一晩中眠らなくても眠くなかったのに、本を読む時、何ページも読まないうちに目が開かなくなり、意識もぼんやりしていました。煉功する時、長く立つこともできませんでした。後で2回煉功する時、意識不明になりそうでした。そして、下痢をしたり、嘔吐をしたりしました。それから、いろいろな妨害が相次いで来ました。私の娘は他の都市に住んでいて、わけもなく昼間に恐くなり、一人で家にいられなかったので、私を呼んで、共に住みました。私の子供はいつもひねくれていたので、急にたくさんの事が起きたのです。

 (続く)

  2009年2月10日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/1/29/194446.html