日本明慧
■印刷版   

家庭の魔難からのがれる(二)

(明慧日本)

  私は家にいると一日中このような気持に陥るため、邪悪に隙に乗じられました。2008年9月のある日、私は迫害によりまったくベッドから起きられなくなり、お腹は刃物に切られるような痛みに耐えられず、歩いても腰がまっすぐに立たずに、喘ぎながら息をして咳をする激しい痛みに耐えられませんでした。その時私は夫のせいだと思いました。その日夫と息子は外出していました。姑は私と一緒に住んでいます。夜中に私は痛みに目が覚めて、そして「師父、助けて」と大声で叫んで師父の助けを求めました。息をする時の痛みでほとんど気絶し、姑は駆けつけて私を抱いてどうしたら良いか分からず、私は泣き出して制御しようもなく、涙と鼻汁が一緒に流れました。姑は早速病院へ行きましょうと言いましたが、私は大法弟子なので、恐れることはない、私に対して迫害を加える邪悪を解体するように師父に加護をお願いする、と思わず口から出ました。私の心はたいへん確固としていましたが、しかし身体はまったく動かず、姑に坐るように私を支えてももらった時ちょうど夜中の12時になり、私たちは正念を発して、そして打坐して静功を煉り終えると、ベッドにゆっくりと横たわって静かに考えました。

  その時、私の身体は至る所が痛くて、気脈を通じるように、下から上へ、また上から下までの有様でした。夜になり私は困難を乗り越えて同修の家に辿り着きました。すべてが師父の按排であるかのように、ちょうど同修の家に何人かの大法弟子が来ており、私がとても苦しい表情で自分の症状を述べているのを見て、同修たちは身体を迫害する邪悪な要素を解体するように助け、そして私に本当の自分を探し当てさせました。実を言うと、自分を探し当てることはかなりの抵抗があったのです。私はここまで彼にいじめられたのに、まだ自分を探すなんて、本当にたまらないと思いました。同修たちは私の立場に立って、法の上で根気よく私と交流し合い、心の結び目を解くように手伝ってくれました。

  1人の同修は、「あなたはすでに邪悪の迫害で三つの事を行うのに深刻に妨害されています。常人の立場から見るとあなたは夫にいじめられたようですが、神の立場だと、断固としてこのような迫害を否定するのです。これは師父があなたを悟らせているのではないですか」と言ってくれました。ここ数年、私はずっと常人の観念で夫のいじめを見て来ました。もとは邪悪な要素が彼を利用して私を妨害したのです。もし自分がここに陥るならば、まさに旧勢力が望んでいることではないですか。師父は私たちに人を救い済度するように教えられたのに、私は慈悲を修めることができず、彼を救うことができないばかりでなく、また旧勢力の手配した道を歩みました。今、私の心の結び目はすでに解けました。帰り道には来た時のような苦痛はなくなり、心の中はひそかに喜んだのです。翌日、私はある披露宴で10人を党から脱退するように勧めることができました。

  近年、私は家庭の難関を乗り越えることに苦しみましたが、法を学び、明慧の文章を読むことを通して、私は深く自分を探し当て、ついに私は夫とのこれらの恩讐は自分の心が原因であったと悟りました。私は以前いつも事実そのものについて論じて、夫がどうして私をこのように扱うのか、一種の人の恩讐だと思って、少しも深く探ろうとせず、いつも心の中で不平を感じていました。

  「誰かに辛く当たられたりした場合は、たいてい次の二つの原因が考えられます。一つはおそらく前世にその人に対して何か悪いことをしたのかも知れません。あなたは、『どうしてわたしにこんなひどいことをするのだろう?』と言って心のバランスをくずすかも知れませんが、しかし、あなたはなぜ前世でその人にあんなことをしたのですか?『あの時のことは知らない。現世は前世と関係ない』とあなたは言うかも知れませんが、そういうわけにはいきません」(『轉法輪』)。私ははじめて夫の立場で彼のことを考えて、これは私たち2人の前世の恩讐なのかもしれず、しかしいかなる前世の恩讐であっても、今生私は大法を得ている限り、師父は私たちに悪縁を善いかたちで解消してくださいます。

  恨む心を少しずつ捨て、私は、どうしてこんなに苦痛なのか、すべてが心から生じて来たのではないかと思いました。私はずっと円満で調和がとれた家庭を生活の目標にして、大切にして来ました。そのため憧れるほど失望がふくらみ、その他の男性が自分の妻に思いやりのある言葉を話すことを耳にすると、心の中はなんとなく抵抗がありました。心の中はアンバランスで、時には大法を一種の心のよりどころにしました。ここまで書くと、私自身もびっくりしてしまい、これはいかに利己的で不潔な考え方でしょう? 私は大法の中から昇華するのではなく、大法を借りて婚姻の苦痛から逃れようとしていました。

  根っこを探し当て、私は新たに自分を探し始めました。-----自分を常人にし過ぎており、話をする時に修煉者に見えず、夫が自分にやさしくしてくれることを望み、好んで称賛の言葉を聞きたいなど-----このように探し当てると、自分が家庭の関門を突破することなく、私の夫に対する恨みはあまりにも大き過ぎたと気付きました。私は彼に対する恨みを解体しなければなりません。師父は、「愛することも、恨むことも---すべて情によるもので」と説かれました(『轉法輪』)。私は必ずこの「情」を捨てて、本当に慈悲の心を持って彼に接し、そして自分を高めて行かなければならないとつくづく思いました。

  2日間過ぎて、身体はある程度よくなり、夜入浴する時下半身から何かが出ました。私は月のものがきているのではないかと思って、見てみると、意外にも一つの生のニワトリの肝臓のような塊で、私はその時、これはきっとよいことで、師父が私の体内にあるよくないものを排出するように助けてくださったと思いました。尊敬する師父と同修たちの助けと明慧の文章の交流が巧みに按排

 されたことに心からお礼を申し上げます。今は同修たちが私の家でみんな一緒に法を学ぶようになり、夫は手厚くもてなしています。

  以上は私の修煉の中で家庭の難関を突破する体得で、他にもいろいろと不足はまだ多々あると思いますが、私は大法によって自分のすべてのゆがみを規正し、師父について行きます。次元が限られており、間違いがあればぜひご指摘を願います。

  (終)

  2009年2月12日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/9/194954.html