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遼寧省:肖玉彬さん、肖鵬さん親子は冤罪の晴れないままこの世を去った

(明慧日本)遼寧省義県九道嶺鎮の法輪功修煉者・肖玉彬さん、肖鵬さん親子は家族皆で法輪功を修煉していた。1999年7月20日から、信仰を放棄しないために、9年にわたり、鎮の派出所、県の公安局、錦州市労教所などに残酷に迫害された。肖玉彬さんと肖鵬さんは相次いで冤罪の晴れないまま、世を去ってしまった。

  肖鵬さんは1972年の生まれで、義県農業専門学校の卒業で、獣医だった。喜ばしいことに、1995年の春に大法を得た。たった2カ月学法と煉功をしてから、長年の病気、省の大病院でも治せない病気が全快した。大法の不思議さによって、彼の両親、妻、娘、3人の妹さんと、2人の義兄弟は皆相次いで大法の修煉に入った。

  1999年7月20日家族11人で、陳情するために北京へ行った。肖鵬さんは北京の公安局に連行され、錦州に送られた後、義県九道嶺派出所に連れ帰られた。所内で、警察所長・李春雷、張春風らに酷く殴られた後、県の留置場に不法に15日間拘禁された。

  1999年9月の下旬頃、肖鵬さんはまた3人目の妹と一緒に北京に陳情に行った。唐山の列車駅で連行された後、また、義県の留置場に不法に拘禁された。その間、所長の王岩、管教ベン志利と受刑者の楊国涛に何度も酷く殴られたせいで、両足は脹れて、曲がり、しゃがんだりすることができなくなった。そして、冷たい水をかけられたり、塩水を飲まされたり、9キロの足の錠をかけられたりして、残酷に拷問された。

  1999年10月29日、肖鵬さんは不法に3年の労働教養を言い渡され、錦州市の労教所に送られ、迫害を受け続けた。その間、肖鵬さんは、何度も酷い拷問をうけて、体中傷だらけだった。それから、錦州市の精神病院に移送され、強制的に神経を壊す薬物を注射された。それから彼は、精神が恍惚とし、結局狂って、体は段々痩せてしまい、骨と皮になり、歩くのも難しくなって、自立できない状態になった。2001年4月7日、労教所は仕方無く彼を家に帰らせた。家に帰ってから、1年あまりして、2002年6月9日に、肖鵬さんは苦痛の中でなくなった。30歳の若さだった。

  肖玉彬さん(肖鵬さんの父)も獣医をしており、1996年に大法を得た。1999年7月20日から、中共は法輪功を鎮圧し始めた。肖さんは妻と一緒に家族皆で陳情に上京する時に、九道嶺派出所に連行され、不法に義県留置場に75日も拘禁された。警察に1500元をゆすられた後、やっと家に帰らせてもらった。帰った後も派出所の人は何度も家まで来て、嫌がらせをした。

  2000年10月5日に家族皆で3回目に陳情に上京した。帰った後、肖さんと妻、娘はまた県の留置場に不法に監禁され、1カ月後、皆3年の労教処分を受けた。肖さんは11月13日に、錦州の労教所に送られ、息子の肖鵬さんと一緒にいた。息子のほうは何度も酷く拷問された上に、強制的に精神病院に運ばれ、精神を壊す薬物を注射されて、狂うようになった後、家に戻された。そして、4カ月余りも不法に拘禁した肖玉彬さんを釈放し、息子と一緒に家へ帰らせた。その時の家には、もう誰もいなかった。妻と娘は不法に瀋陽の馬三家労教所に拘禁され、迫害を受けていた。

  家の中で、利口で気のきいた若い息子が錦州労教所に心身喪失にまで迫害されたのを見て、肖さんの心は刀で切られたように痛かった。彼は息子と、1日を1年のように過ごした。息子が冤罪が晴れないまま亡くなってから、彼は心身共に多大なショックを受けて、あまり口を開かないようになった、1日中彼はしゃべることもなく聞こえなかった。もうそこまでになったのに、義県の公安局、国保大隊、九道嶺鎮政府、鎮派出所は、「敏感日」になると、1回も洩れなく、家に来て嫌がらせをしたり、訳もなく、連行したりした。脅かしたり、保証書を書かせたりし、彼の家の電話、携帯をモニターしたり、いつも彼を監視した。

  2002年10月24日、彼は妻と家にいる時、九道嶺派出所と義県国保大隊の警察・王殿洪らに連行され、県派出所に24日監禁された上に、500元のお金をゆすられた。家に戻ってからも、何かあると、すぐ嫌がらせを受けた。オリンピックの半月前の頃、九道嶺鎮派出所の警察・呉月(或いは運)明ともう1人の警察は少なくとも、3回も彼の家に来て、嫌がらせをし、派出所に2回呼ばれ、保証書を書かせられた。2002年から、2008年にかけて、義県の公安局、国保大隊、九道嶺鎮政府、鎮派出所が彼に行なった嫌がらせは少なくとも、13回もある。

  この数年来、邪党の迫害は肖玉彬さんに大きな圧力、ショックと苦痛を加えたので、肖さんは心が極度に苦しめられた。長い間の体の苦しみ、心身に於いての精神の苦しみの果て、肖さんは、2008年12月26日に冤罪の晴れないまま世を去ってしまった。61歳だった。

 肖さんが世を離れた後の11日目の午前8時30分に、九道嶺派出所の警察はまだ彼の家にきて、彼を探す電話をし、嫌がらせをした。もう死んだのに、まだ静かにさせようとしなかった。

  迫害を行なったのは、義県610弁公室、義県の公安局、国保大隊、九道嶺鎮政府、鎮派出所と係わりのある人達だった。

  2009年2月13日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/20/193832.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/1/26/104211.html