日本明慧
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執着を放下し、身も軽く前進する


文/大陸の大法弟子

(明慧日本)私は1998年に法を得た古い弟子です。大法の中で10年を過ごしてきました。この過程において、自分は人心が重く、悟性が悪いので、転んだり、壁にぶつかったりして来ました。労働教養所で迫害された時、師父と大法に不敬な「三書」を書きました。にもかかわらず、師父はこの意気地のない弟子を見捨てられませんでした。ずっと守り、啓発してくださいました。私は深く師父の浩々たる仏恩と偉大な慈悲を体得しました。私たちが最後まで正しく歩むために、師父はたくさんのものを与えてくださいました。師父に対する敬意と感謝の意を言葉では言い表すことができません。ただ多く法を学び、精進し、正しく悟り、しっかり三つのことを行い、師父について最後まで歩んでいきます。

  ここでこの10年間の修煉において、深く感受した二つのことをお話ししたいと思います。

  1999年、娘は大学専門学校を卒業し、就職が難しかったので、人材市場でかなりのお金と精力を使いました。しかし、結果はよくありませんでした。娘はいつも怒っていました。私までも人心が出て、情に執着するため、学法と煉功にかなり妨害がありました。人それぞれに運命があるという法理を知っていましたが、放下できず、とても辛かったのです。こうして数カ月も経ちました。ある日、夫(よその土地で出稼ぎをしていた)が電話をかけてきて、急病にかかり、病状が重いので、世話をしに来るようにと言いました(私は失業中)ので、私は行きました。よそにいて娘の心配そうな顔を見なくなりましたが、根本的に心性の問題が解決されなかったので、安心できませんでした。

  ある日、私は電話で同修と切磋琢磨しました。師父は同修の口を通して私を啓発してくださり、このすべては全部自分の放下しない執着心から起きたのだと悟りました。師父は『道法』の中で「魔難が訪れるたびに、本性の一面から認識することができず、完全に人間の一面から理解しているため、魔はこの一点を利用して尽きることのない妨害と破壊を行なっていて、学習者は長期にわたり魔難の中に陥っています。 本当のところ、これは人間の一面の法に対する認識不足から起こったことで、人為的に皆さんの神としての一面を抑制して、つまり皆さんが修めてできあがったその部分を抑制して、神の一面が法を正すのを阻(はば)んでいるのです。 修めてまだできあがっていない一面が、どうして主思想を抑制して、すでに法を得た一面を抑制することができるものでしょうか? 人為的に魔を養ったことで、魔が法の隙につけ入っているのです」 と教えられました。

  この数カ月を振り返ってみると、自分はそんなにも魔に邪魔されていたのです。ここまで悟ると、心の中にあった石が取り除かれたようで、一瞬の間に楽になりました。執着を放下し、情の関を超える決心をしました。心の中で「例えもう1年娘を養ってもいいではないか、難しいことはない」と思いました。こうして半月後、私の弟が電話をかけてきて、娘が気に入った仕事を見つけた、と教えてくれました。

 もう一つのことですが、私は2000年12月の末頃、北京へ陳情に行きました。2001年元旦、天安門で警察に連行され、地元の留置場に9カ月間拘禁されてから、直接洗脳班に移送され、迫害を受けました。この1年で続々と魔難を経験しました。最初は情の関でした。家族、親戚、友達、同僚は保証書を書き、家へ帰ってから、家で密かに煉功するようにと代わる代わる説得しました。初めは優しかったのですが、後には脅し始めました。ちょうど勤め先が破産した時期で、経理から書類がきて、あなたのような人は「保証書」を書かなければ、定年の手続きをしない。皆あなたのせいで、手続きを処理する時間を延ばされ、「保証書」を書く期限までに書かなければ、どうのこうのと強い口調で言いました。私の70歳あまりの両親は遠くから車でやって来て、怒って涙を流し、意識がぼんやりして倒れるところでした。特に高齢の両親の様子を見てとても辛かったのです。

  しかし、私は師父と大法を固く信じました。「真・善・忍」を信じるのは絶対に間違いはありません。そのすべてが全部自分の心に向かってきたのです。どんなことがあっても、私の心は決して揺れてはいけません。私は修煉者です。勤め先と同僚たちに迷惑をかけないために、私はすぐ「委託書」を書いて、勤め先に提出しました。上の人に、法輪功の修煉者がそんなことをするのは違法だと説明して私の態度を表明し、給料を諦めても、修煉を放棄しない決意を表明しました。

 夫は酷く怒りました。各方面からの圧力の前で、彼はもし私が「保証書」を書かなければ、離婚すると言いました。常人の彼は我慢できないので、最後にはこの方法を使うことが分かっていました。しかし、やはり私の師父と大法を信じる決心は変えませんでした。彼の辛くてどうしようもない気持ちを理解しました。彼が速く邪悪の脅しから抜け出すために、私は何の躊躇もなく、離婚届けにサインしました。唯一の財産の家を二つにしました。家は無くなり、給料も無くなり、両親と親戚は皆私を怨みました。友達と同僚は私を責めました。自分の頭で、正と悪の戦いも激しかったのです。

  そんな強い圧力の前で、大法は私を励まし、師父は守ってくださり、同修も私を励まし、気を使ってくれました。そのおかげで、私は常人の一面を取り除き、その難関を乗り越え、苦境の中にあって、希望が見えてくることはまた一つの村を出たような喜びと軽快さを感じました。常人のものをたくさん失ったように見えましたが、実は私に与えられたのは、まさに宇宙の中の一番貴重な法輪大法で、私は一番幸運な人間です。

  執着を放下したので、2004年、私は放浪生活と労働教養所の迫害を終えて故郷に帰った時、定年の手続きはもう終了して、定年退職の給料の支給も始まり、夫も私を戻させるために私の所へ来ました。その時、彼も仕方がなかったのだと言いました。今の私は何も失っていません。これは全部師父の加護と大法のおかげです、師父と大法がなければ、私のこのすべてもないのです。

  魔難の前で、師父の教訓を銘記し、法理をはっきり認識し、心の中に終始師父と法があれば何も怖いことはないと思い、この正念を保って執着を捨て、最後に取り除きさえすれば、法理は必ず私たちの前に現れ、超えられない難関はないのです。師父は必ず私たちの執着を放下させ、私たちに大法の神聖さと素晴らしさを体得させてくださるに違いありません。執着を放下できなければできないほど、辛いのです、放下できるようになれば、たいしたことはなく、辛く思うのは何も意味がないと私は体得しました。

  同修たちよ、時間はもう多くありません。共に比学比修し、互いに励まし、共に精進し、最後に執着を放下し、軽装で前進し、三つのことをしっかり行い、私たちの史前の大願を実現しましよう。

  2009年2月15日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/2/1/194630.html