日本明慧
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携帯電話を選ぶことから思い付いたこと

(明慧日本)仕事柄外出することが多いため、私は経済的で実用性の高い携帯電話を選びました。MP3とMP4付で、電子ブック機能も付いています。私はその中に電子ブックの経文を吹き込んでいるのですが、法を学ぶ時正体漢字が表示できないことに気付きました。ネット上で同修の様々な提案を参考にしてもすべてだめで、やはり安物は本当に良い品はないと実感し、節約することばかり考えてこのクラスの携帯電話を買ったことをいささか後悔し、娘に譲って、自分はまた新しいものを買い求めようと思いました。

  今日の午前に何ページかの法を暗記したとき、携帯電話が発正念の時報を知らせ、わたしが携帯電話をとって時間を確認した時、突然自分がこの携帯電話の機能の欠陥を毛嫌いしたことを思い出しました。そこで内に向けて自分を探すと、そのような考えの陰に意外にもとてもよくない人心が隠れていたことを見つけました。

  去年当地の同修が広範囲に不法に連行された時のことを思い出しました。その時その他の同修が耐えられないため、私が資料を作っていることをばらしたので、警官は私を不法に連行して、3昼夜痛めつけましたが、私からその他の同修のいずれの情報も入手することができないため、彼らは私を労働教養所まで不法に連行するように画策しました。また私の70才の年取った母を連れて行って、親心から私を脅迫することを愚かにも企んだのです。私は母とその他の居合わせた人に向いて、「あなたたちは私の母にこのようなことをさせる必要はない。私たち大法弟子は、家族と他人はすべて同じです」と話した。その時現場にいたもう1人の大法弟子は、「大法弟子は万事万物を見ても、すべての衆生を見るのも同様で、慈悲のみです」と補充した。

  わたしはその時同修が法を修めて出た大きい慈悲に揺り動かされて、同時に自分と同修の境地の開きを感じました。その言葉によって、警官は再び母を困らせず、私とその同修を一緒に手配したので、直ちにその同修と法理の上で交流し、自分の不足を探し当てることができ、間もなく私は釈放されたのです。

  なるほど、大法弟子は万事万物をみな衆生と見なして、慈悲の心で扱うべきで、決してどの生命に欠陥があり、不足があって、誤ったことを犯したことで毛嫌いしてはならず、特に宇宙で法を正して、天地を組み立て直す肝要な時に、いかなる大法と大法弟子にとって、法の実証と衆生の救い濟度を支持する生命は、すべてが最も大切な生命であるため、私はどうして私を手伝ってくれるその携帯電話を毛嫌いするのでしょうか。この生命はぱっとせず、不足もありますが、しかし彼も自分の力を尽くしたのです。これはまさに私の慈悲の境地の足りなさを現したのではないでしょうか?

  このように長年の修煉の途上で様々な面倒と対立に出会うときは、実はすべて自分の慈悲の足りなさから生じたもので、だからこの同修のどこがよくなくて、あの同修のどこがよくなくて、この邪悪は救いようがない、その邪悪は地獄に落ちてもよい、この常人はこんなに異変して、あの常人は道理を説いても通用しない-----等と思ったのです。

  師父は『轉法輪』の中で、「 高次元の法が分からないために修煉ができないことと、内へ向かって修煉せず、心性を修煉しないので、功が伸びないのです。この二つの原因です」と説かれました。師父がこの事を通して自分の不足を分からせてくださったことに感謝いたします。修煉は本当に内に向けて探さなければならず、そうでなければ更に高い法理の基準を見ることができないのです。

  2009年2月15日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/11/195211.html