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鄭会旺さんは10年の判決を下され、家族との面会も断たれた

(明慧日本)2007年12月14日(旧暦)、河北省霸州市の法輪功修煉者・鄭会旺さんは自宅で警官に連行された。その後、家族は鄭さんの行方が分からなくなった。2008年3月末になって、家族は突然、保定市第一刑務所から「入所通知書」が送られた。鄭さんはすでに不法10年の判決が下され、保定市第一刑務所で迫害を受けていることが分かった。

 鄭さんの家族は通知書をもらって非常に憤慨し、霸州裁判所の法を執行する人員に詰問した。法を執行する人員らはそれに答えることはできなかった。

 現在、鄭さんはすでに刑務所に1年間近く監禁されたが、家族は一度も面会もできず、鄭さんの状況はまったく分からない。2008年12月22日、鄭さんの父(72)は息子に思いを寄せ、一人で保定市第一刑務所へ息子に会いに行った。苦難の旅をし、さまざまな人に刑務所へ行く道を聞き、やっと刑務所にたどり着いたが、刑務所の隊長は面会を許さず、上からの指示がないと面会できないと言い逃れた。鄭さんの父がどんなに願い出てもだめだった。

 2009年1月始めごろ、鄭さんの19歳の息子は交通事故で亡くなった。1999年7.20以来、中共政権は数回にわたって鄭さんを連行し、家族の生活も正常にできず、お金もなくて子供は学校へ行けなくなり、仕方がなく退学して母と一緒に家の生活を維持していた。15歳の子供は一家の生活と精神の支えとなった。非常に聞き分けが良い子で、出稼ぎをしていた。節約のため、一ヶ月にラーメンばかりを食べることもあった。

 その良い息子のためにも、6人の親戚は一緒に刑務所に行って、刑務所側に鄭さんが子供の葬式に参加することを要求した。刑務所の警官二人(陳隊長、李隊長)はきっぱり断り、鄭さんとの面会も許さなかった。警官二人は、刑務所の中の鄭さんが元気であると言っただけだった。

 鄭さんは信念を堅持したため、1999年に法輪功が迫害されて以来、数回にわたって連行、監禁、労働教養、不法判決され、思想改造施設に入れられ、落ち着く所もなかった。1999年、北京へ陳情しに行ったため、不法に労働教養3年を下され、廊坊の万庄労働教養所で転向しなかったため、また高陽労働教養所に送られ、スタンガンでショックを与えるなどの拷問を受けた。3年後に釈放され、家に帰って約1ヶ月、警官に絶えず嫌がらせを受け、仕方なく家を出た。1年間落ち着く所もない状態だった。しかし、再び警官に連行され、廊坊思想改造施設に送られて、不明薬物を注射された。その後、唐山教養所に送られた。断食で迫害に抗議したため、椅子に縛られ、1週間毎日食べ物を詰められた。8ヶ月間も迫害を受け、危篤状態に陥り、労働教養所側は責任を負うことを恐れて、鄭さんを家に帰らせたという。

 2009年2月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/10/195195.html