日本明慧
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自らの根本的な執着を見つける

(明慧日本)幼い時から富裕な環境で暮らしましたから優越感、孤高を自任し、他人を見下げる心がずっと伴っていました。各方面で他人より優れていることに価値があることで、貴族になることに価値があると認識していました。貴族ならば世間で価値がある全部の物を所有する事ができます。例えば試験で一位になること、他人より綺麗であること、良い職場があること、争って世の中の強者になること、人前で恥をかいてはいけないことなど、ほかに卑しい仕事をすれば他人に見られるのを恐れ、試験で成績が落ちたら顔向けが出来ず、顔色がよくなければ人を避けたりします。他人が自分よりよくなれば妬み、この一切の原因は全部自分を貴族だと見なし、貴族は他人より常人が執着する物つまり名利情を多く所有すべきだと認識したからです。実際私がこれら常人の執着を捨てずに掴んでいる時、私は既に宇宙特性の善とは離れてしまいました。善とは良いものを他人にあげ、悪い物を自分で持つことです。

 法を学ぶ中で私は世の中の人は全部簡単な人ではないことを知り、幼い時から自分が貴族だと見なしたのは法の上ではちっとも重要ではなく、ただ前世でためた福であると認識しました。世の中の生命は全部遥かに遠い天体の代表であることを考えた時私は街で見た生命は全部大したものであり、偉大に感じました。彼らは彼ら天体の衆生のため多くの苦しみを嘗めました。これらの生命に対して尊敬の心が起こった時、私は世の中で一番重要である大法をこれらの衆生に伝えたいという心だけでした。私が彼らを尊敬しているため、私は彼らも世の中の栄耀に似合っていると感じました。この時に私が長い間放下できなかった執着を取り除けるようになりました。私は良いものを他人と分けると思っていたため、この心が宇宙特性に符合して従来なかったリラックス感を感じました。他人との関係も非常に和やかになり、他人の過ちは見えず、見えるのは自分の責任及び救われるのを期待する偉大な生命だけでした。

  2009年2月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/19/195700.html