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師父が長春で説法された日々の思い出(一)

(明慧日本)「師父が法を伝えられた日々を思い出す。涙が再び胸にこぼれ落ち……」と歌う『師恩を讃える』という曲を聴くと、涙があふれて来ます。9年間の苦難を経て、難儀に遭うその都度、偉大で尊敬する師父のことさえ思い出せば、心の憂鬱が一瞬にして大法の慈悲に消散され、大法を得た生命がどれだけ幸せかと非常に深く感じます。特に、尊敬する師父に自ら救い上げられた生命、大法弟子の一員としてどれほど誇らしいことかと感じます。大法の輝きは永遠にこの蒼穹を照らし続けます。

 ここで師父から法を聞き、伝授を受けた日々を記し、皆さんと分かち合いたいと同時に、大法の光り輝きと師父の偉大さを実証したいと思います。

 一、第六期法輪大法講習会に参加

 1993年7月、私は師父が長春市で開かれた第六期法輪功講習会に参加しました。場所は吉林大学の鳴放宮でした。

 第1回目の講義は今でも忘れません。当時、私の席は第12列目の通路側で、師父の顔ははっきり見えていました。師父は見たところ、とても若く、背が高くがっしりとして、わずか二十歳前後の若者ようで、ワイシャツを着ておられ、素朴な感じでした。師父の声はとても澄んでいて、はっきりとしていました。筆舌しがたいのですが、この世で師父の声に匹敵するものは存在しません。あの時、あのように感じたのは自分の心が師父の法に深く打たれたからだと今になって分かりました。

 当時、師父がおっしゃった一言は今なお記憶に新しく、「修煉者は即ち他人のために生きる者です。」この言葉を聴き、理解できなかったばかりか驚きました。元の自分は利己的な人間で、師父のこの言葉は当時の自分にとって、理解しがたかったのです。私の隣席の人たちは手を膝の上に置き、掌を上に向け、信息を受け取るのだと言い、私にもこうするようと言って来ました。試してみましたが、あまり良くないような気がして、やめました。でもなぜか両手を合掌したくて仕方がありませんでした。胸は荘厳と敬虔の気持ちでいっぱいでした。合掌したまま師父の第1回目の講義を聞き終えました。私は非常に集中して講義を聴くことができました。なぜならば、師父が教えられた理は皆とても新鮮で、かつて聞いたことがなかったからです。

 第2回目の講義は天目についてでした。私の眉の間のところが何かに捕まれ、内側に入り込もうとする感じがしました。仕事場が講習会会場の近くにあったため、私は毎日夕方5時に、もう会場に着いてしまいます。ある日、幸運なことに、師父に遇えました。約20メートル先に師父がお見えになったのです。私はじっと師父を見つめました。述べられたことはみな理に適っており、若い気功師の該博な知識に痛く感銘を受け、まだ常人だった私は、師父のことが不思議で仕方がありませんでした。今まで出会った人の中で、敵う者がいないこの若い気功師に敬服しました。師父の気質、振る舞いを表す適切な言葉は今でも見つかりません。

 師父にお会いできた同修が羨ましく思われますが、でも当時、師父にお目にかかることは珍しいことではありませんでした。師父はいつも早々と会場に来られ、講義の開始時間は夜6時ですが、5時になると必ず師父はもうお見えになっていました。師父は気さくで、いつも親しみやすく、師父にお会いした学習者は大勢いました。あれは第5式の功法を伝授された時のことでした。面倒がらず労苦をいとわない師父は、ステージの上で功法を実演する学習者と一緒におられましたが、自らステージから降りられ、学習者一人ひとりの動作を直されました。私の手印の間違いも師父が直してくださったのです。あの光景は今なお忘れられません。

 修煉をはじめる前に、自分は常人の社会に染められ、名、利、情に浸り、全身業力まみれでした。数多くの疾患に付き纏われ、苦しめられました。毎日、もの凄い量の薬を飲み、漢方の医者にかかれば一回につき6種類の薬が処方されました。それらの疾患の中で最も重かったのは腎臓炎でした。免疫力を失う病気ですので、治療は難しいと言われています。その病状はだんだんと慢性腎不全に悪化し、病院に行けば、必ず休養一ヶ月の許可をもらってくるのです。医者に絶対に寝て休むようにと言われ、日常生活のことさえもできなくなり、ちょっと動いただけで腰に激痛が走り、病状が悪化する一方でした。しかし、他人があれこれをやっているのを見て、自分はまるで死刑を下されたようで、辛かったのです。やがて、酸中毒に達し、一日に何度も嘔吐してしまい、中和するために、重炭酸ナトリウムを服用するようになりました。酸中毒は尿中毒が悪化することを意味します。私は死に瀕していました。師父が講習会を開かれ、予め私の病根を取り除き、体を浄化してくださり、師父が私を救い出してくださり、私に新たな命を与えて下さったのです。

 講習会が終了する時に、師父は皆さんに一人ずつ会得したことを書くようと話されました。これだけ大勢(約2千人)いるのに、一人が何ページも書いたら、どれほど厚い原稿になるのだろう、師父は法の伝授でお忙しくされて、皆が書いたら読みきれないではないかと自分は常人の心で考え、書きたくありませんでした。しかし、重ねて師父は書くようにと言明されました。仕方がなく、私は9ページ書きました。当時、法についての理解は浅く、会得ほどのものではありませんでした。功法の実演を行った学習者に渡したことを覚えています。彼は大事そうに鞄にしまいました。「師父は本当に読んでくださいますか」と彼に聞いたら、彼は「本当です。書くべきですよ、師父は全てを読まれます」と答えました。その後、師父に付いている学習者から、師父は法を伝授する多忙の中でも、旅店にいるときでも、列車に乗っている時の車両の微かな明かりの下でも、他の人たちが寝ている間に、休息を取らず、合間を縫って、学習者の会得を一枚、一枚読んでおられたことを聞きました。このことを思い出して、今でもとても感銘を受け、法を伝えられたあの時、師父が施されたものは計り知れませんでした。

 二、長春市第7回法輪功講習会に参加する

 1994年4月29日から5月8日まで、師父が開かれた長春市第7回法輪功講習会に参加しました。師父は講習会の前にたびたびそこの空間場を片付けられ、たくさんの功を出されたのを目にし、邪悪の師父の法の伝授への妨害が酷かったことが今になって分かりました。

 二日目の講義の時、他の空間の話に言及されました。皆がもっと法を理解しやすいように、師父の片手は講壇にあるコップを持って、もう一方の手はコップを横へ引っ張りました。引っ張り始めてから、手が止まるまで、幾重にもコップが見えて、最後に、もう一個のコップが現れました。元のより一回り小さいコップです。生まれてから今まで習得した観念があまりにも強すぎて、実証科学の影響もあり、自分の考えは硬直していました。目に見えないものは理解しがたく信じようとしませんでした。しかし、師父に啓発させられ、直ちにわかるようになりました。その後、1994年のある晩、明かりをつけないまま、神通加持法(第5式の功法)を煉っていました。手印を結び始めたとき、突然目が開いてしまい、両手の掌が燦然と光を放っていたのが見えました。とても綺麗でした。師父が他の空間の景色を見させてくださり、法をもっと信じるようにと師父が励ましてくださいました。

 第7回目と第8回目の講習会は人数が多いいだけでなく時間も少ないため、午前と午後、一日2回も講習会を設けることにしましたが、かえって師父が苦労されることになりました。ご飯を召し上がる時間、休息を取る時間が減り、大変ご苦労をされた様子でした。師父は常に学習者のためを思っておられ、奉仕されておられました。あの年、師父の講習会のスケジュールはぎっしり詰まっていて、予定の書いてある大きな紙には、少しの余白もありませんでした。法を伝えることは容易ではないようでした。他の空間にいる邪悪の妨害を取り除き、四方を奔走されているにもかかわらず、最も廉価な即席ラーメンの食事しか取れないと同時に、資金不足等様々な困難を背負っておられました。師父の講習会の料金は全国で最も安かったのです。一回目は50元、二回目からは半額とします。衆生を救い済度するために師父が耐えられたものはあまりにも多すぎて、私たちは報いることができない程です。

 説法される時の師父のご様子を気にして観察してみました。師父は原稿の用意をされません。あの時は理解できませんでした。師父は毎日説法される時、上着のポッケトから紙を一枚出し、講壇の上に置かれるだけです。師父は力強く説かれた法は奥深く、非常に分かりやすく、ユーモアとウイットに富み、活気に満ちておられました。しかも、複雑な問題でも、師父の一言で真髄が喝破され、透徹しておられました。師父は時々講壇においた紙を見ますが、まったく見ないときもあります。講義の進行時間も正確に把握されておられました。あの紙に何が書かれているのだろうととても不思議に思いました。あまりたくさん書いてあるように見えないのに、なぜ師父は話し出すと滔々と述べ立てておられるのでしょう。それは、師父は原稿のようなものを使う必要がないからです。師父が説かれたのは宇宙の大法で、その大法は博大かつ深いからだと思います。師父の講習会は本当に人々の心を掴み、毎回の講義中に幾度も学習者たちの拍手に中断され、長時間にわたって拍手が止まらない時もあったほどの人気ぶりでした。また、師父は法を伝えられるに当って、宣伝機器を使わず、全て大法の威徳を頼りに、人の手段等を一切使いませんでした。

 邪悪が大法を誹謗中傷しようとしたとき、師父の『転法輪』は他人が編集したものだと言い、でっちあげを造りました。笑止の至りで反駁するまでもありません。全ての師父の講法を直接聞いたことがある人、あるいは後に師父の講法ビデオを見た人ならば、誰もがこの大法は師父がご自分の口から解かれたものだと分かります。後に出版された本も師父の各地においての講習会の録音テープに基づき、師父がご自分で整理されたものです。いかなる人、誰が大法を説くことできるのでしょうか。

 今回の講習会で、師父は再び学習者の身体を浄化してくださいました。毎日講習会は夜8時に終わります、講習会が終わって家に戻り、夕食を取ります。間に合えばバスで帰りますが、間に合わなければ歩いて帰ります。自宅は結構離れているのに、お腹が空く感じもなければ、疲れなども感じませんでした。かえって全身軽やかになり、あっという間に家に着きます。当時はなにも気付きませんでしたが、それは師父がしてくださったことだと後になって分かりました。

 講習会の終了後、師父は学習者たちの要望に応じて、大手印を行われました。師父の手印を行う姿はとりわけ美しく、柔らかさのなかに強さがあります。大手印の意味は理解できませんが、師父は私たちに何かを期待されていることが分かり、とても良いものだと感じました。大勢の人は錦の旗や花を師父に贈りました。最後に、師父はステージに立ち、両手で力一杯に大法輪を回されました。会場の全員は起立し、別れを惜しみながら雷鳴のような拍手で師父にお礼を言いました。学習者の希望を満たすため、師父は面倒がらず、労苦をいとわず、何千名の学習者と記念写真を取られました。写真を取った日はちょうど真夏の日の正午で、非常に暑くて、いまでも覚えています。師父が自ら私たちに無私無我のお手本を見せてくださいました。

 (続く)

 2009年2月24日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/10/1/186950.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/10/16/101513.html