日本明慧
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忘れられない、同修の人を救いたいという心

(明慧日本)もうすでに一年ぐらい前の話なのですが、今になっても時々思い出す忘れ難い出来事があります。

 それは春のある日のことでした。私は用事があってある同修の家に行きました。同修は畑から帰ってきたばかりでした。彼女は私と話しながらテーブルを準備しました。そして大きな鉄の鍋で作ったご飯を取り出し、私にどうぞ召し上がれ、と言いました。私は他の地域から来ていて、ちょうどお腹がすいていたところでした。そして、一緒にテーブルの椅子に座りました。テーブルの上には、お米、ジャガイモのスープとつけ物が並べてありました。それは、朝多めに作って残った昼食です。私たちは雑談しながら食事していましたが、彼女は突然何かを思い出したように、タンスから50元札を取り出して私に渡しました。そして、とても悲しそうにこう言いました。「これは私のおばさん(父の姉妹)がくれたお金です。急いで人を救ってください」。私は手を伸ばしてそれを受け取りました。なぜなら、彼女の心のこもった差し出しを拒否する理由がなかったからです。また私たちは家庭資料センターがあり、すべて皆さんの援助で独立に運用しているからです。

 自宅に帰ってから久しく、私はずっと感動して気持ちを抑え切れませんでした。彼女の乾いて裂けた唇を見て、農民がとても苦労して、風に打たれ日差しに照らされて、汗を流し、喉がかわくことを想像できます。彼女のうるんだ目を見て、人を救うために焦っている心が感じられます。そして彼女の期待は目に現れ、その表情を見ると、「お金が少ないとはいえ、これは私の全財産で、人を救うための自らの願いです」という彼女の心が伝わってきます。

 彼女がこのように思っているとなぜあなたに分かるのか、と思うかもしれません。なぜなら、私は彼女(の経済状況)についてよく知っているからです。彼女は市場を通る時、なぜ50元のお金を使わなかったのでしょうか、野菜を買わなかったのでしょうか、しかも過労でぐったりしている時でもです。もう60歳の人です。皆さん考えてください、一食、二食の野菜のスープを飲んでもたいしたことではないのですが、しかし毎日このような簡単な野菜の料理で、苦労に耐えて節約したお金を、世間で迷いの中にいる人々を救うために使おうとしています。自分が少し苦しんでも、より多くの人を救いたいと思っているのです。私は自分自身がとてもちっぽけに見えました。彼女の無私無我の心に私の心は揺り動かされ、とても忘れ難いのです。

 2009年2月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/22/195903.html