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佳木斯市駐在軍隊の医師、王紀平さんは迫害により亡くなった(写真)

(明慧日本)1999年7月20日以来、佳木斯市駐在軍隊の224病院の麻酔科主任医師・王紀平さんは何回も中共邪党軍隊の強制的な洗脳、不法監禁、労働教養を受けてきた。王紀平さんを不法に捕まえるために、224病院は巨大な資金を費やした。中共邪党はこの10年間、法輪功修煉者に悲惨な迫害を実施した。王紀平さんは肉体上と精神上、また経済面において、巨大な苦難に遭い、親族が仲たがいし、居場所が定まらず、孤独で苦痛を伴う貧しい生活を送る中で2009年2月4日に冤罪が晴れないままこの世を去った。39歳だった。

 王紀平さん(39歳男性)はもともと黒龍江省夢北県梧桐河農場2分場在住の人である。ハルビン医学大学麻酔科を卒業し、佳木斯市駐在軍隊の224病院の麻酔科の主任医師を務めていた。

王さんの生前写真

 王紀平さんは高校の時、結核性肋膜炎に感染し、病院で誤診されたため、タイムリーに治療を受けることができず、病根が残ってしまった。その後、この病気のためよそで1年間治療を受け、帰ってからもずっと薬を飲んでいた。長期にわたる、各種の治療と薬物の副作業により、王紀平さんは反応が鈍くなり、髪の毛が抜ける現象も現れた。

 1996年9月、王紀平さんは法輪功修煉を始め、長年彼を苦しめた頑固な病気が素早く消えていき、法輪大法により浄化された心身は楽になり、喜びを感じた。彼は希望に満ちた日々を送り始めた。王さんは大法の基準に則って、厳しく自分を要求し、素朴な生活を送り、仕事は熱心に行い、個人の得失を争わず、苦しみと疲れを恐れなかった。10年くらい仕事をする中、王さんは患者からの賄賂を一銭ももらわず、数え切れない接待を断った。王さんは連続して数年間224病院の優秀な職員と評定され、病院のすべての人々が認める良い人だった。

 法輪功が中共邪党と江氏ごろつき政治集団の迫害を受けた初期、224病院の邪党政治委員・于涛、連合政治処の主任・楊伝宝と院長・劉英山は法輪功を迫害する急先鋒となった。224病院の法輪功修煉者一人一人に強制的に「真・善・忍」の信仰を放棄するという、いわゆる「保証書」を書かせ、また彼らが修煉をやめないと軍隊により監禁されるか、ひいては更に想像もできない虐待に遭うと脅した。高圧な強制の下で、王さんは極めて苦しい中、自分の意に背いてかれらに妥協した。それきり彼は深い自責と侮辱の中に陥った。

 2004年10月22日、瀋陽軍区の指図と224病院、および佳木斯現地公安の積極的な参与、協力の下で、王さんは強制連行され、また当日不法に瀋陽に送られた。王さんは汽車の中にいる間手錠で固定され、トイレに行かせてもらえなかった。最後に、王さんは瀋陽軍区政治部により不法に3年間労働教養を科された。

 王さんは瀋陽軍区聯勤部留置場に2004年10月から2005年1月までずっと不法に監禁され、2005年1月から2006年8月までは、瀋陽軍区后勤部留置場に不法に監禁され、2006年8月から2006年12月までは、不法に聯勤部留置場に拘留された。 

 王さんが不法に監禁されている間、一群れの人らが王さんに圧力をかけるため、王さんを転向させようとやってきて、彼に師父と大法を中傷する文章を書くように強要した。留置場で警官は彼に満足にご飯を食べさせなかった。軍隊内部で、不法に監禁されている法輪功修煉者に対していかに迫害しているかについて、その詳細はいまだに分からない。その後、王さんは長期に亘る不法監禁と迫害の中、血圧が極めて高くなり、腎臓機能が衰弱し、また尿毒症の病状も現れた。しかし王さんが生命のとても危険な状態に陥った時であっても、軍隊は彼を釈放しなかった。

 2006年12月、王さんは重病のため、数カ月繰り上げて帰宅した。当時彼の身体は非常に脆弱で、両目はほとんど失明していた。翌年、部隊は彼を強制的に復員させ、彼は仕事がなくなり、住んでいたところも部隊に押収され、居場所がなくなった。

 迫害される前、王さんは妻との仲がとても睦まじく、2人は一緒に大法の修煉をしていて、とても深く受益していた。しかし、邪党悪人の脅しと利益の誘惑の下で、王さんの妻は修煉を放棄した上、邪悪に協力して王さんを捕まえた。王さんは瀋陽軍区に不法に労働教養される間、毎日邪党の悪人に強制的に洗脳され、転向を強いられ、精神上、肉体上すでに巨大な傷害を受けた。その時、彼の妻は彼を離れて行き、離婚手続きを行った。

 王さんは兄弟、姉妹の中、一番上の姉と一番仲が良く、彼ら2人は父親が最も可愛がっていた子だった。姉は弟が大法を修煉して確かに心身とも受益したのを見て、自分も修煉を始めた。しかし、王さんが瀋陽軍区により不法に労働教養された後、彼女は修煉を放棄し、また瀋陽軍区の悪人に騙されて、彼女の夫とともに邪悪に協力して、瀋陽軍区を訪れ、弟に修煉を放棄するように強要した。その後、また王さんに手紙を書き、両親が危篤状態であるなどのうそをついて、王さんに圧力をかけた。

 王さんは迫害されて身体がひどい状態になり、家に帰ってからもずっと仕事ができなかった。2008年年越しの前、王さんは黒龍江省夢北県梧桐河農場に住んでいる両親と友人らに年越しの品を送ったところ、悪人に告発されて、現地の警官にかき乱された。また王さんの携帯も持ち去られてしまった。オリンピックの期間、梧桐河農場の警官はまた王さんの両親の家をかき乱しに訪れ、その結果、王さんの両親は息子が再び捕まえられていくことを恐れるあまり、敢えて息子に再び家に帰って来させなかった。更に敢えて息子と一緒に団欒しっ年を越すことを考えなかった。

 邪党の迫害の下で、王さんは路頭に迷い、あちこちまわっても仕事が見つからず、妻も両親も家族もない、孤独で苦痛を伴う貧しい生活を送り、精神上と肉体上、多重の圧力を受けていた。2009年2月4日、王さんは冤罪が晴れないまま、この世を去って行った。王さんの80歳すぎの両親はいまだに息子がすでにこの去ったことを知らない。

王さんは冤罪が晴れないままこの世を去った、年は僅か39歳

 2009年2月28日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/24/196019.html