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10年間にわたる修煉の道


文/河北省承徳市の法輪功修煉者

(明慧日本)私は1998年の後半に法を得て、すでに10年になります。私の修煉過程は、個人修煉と正法修煉とともに歩んできました。この10年来の風雨の中で、師父の保護と大法の導きのお陰で、何とか歩んでくることが出来ました。

 私は、法を得る以前の数十年間の生涯のなかで多くの災難に遭いました。文化大革命の時、私は右派として打倒され、1964年には仕事関係の人に騙され3カ月間投獄され、1980年代に行政の審査を受けました。しかし、毎回誰かが必ず助けてくれ、奇跡的に災難を乗り越えることが出来ました。当時は、なぜだか分かりませんでしたが、今振り返ってみると、師父が助けてくださったとのだと分かりました。

  一、師父は手引きをしてくださっています

  私は功能を閉じられて修煉しており、常に師父に悟らせていただきました。1999年「7・20」の前に、私が間違って何かをしたら、師父は必ず私に悟らせてくださいました。例えば、ある日、同修の菜園にあるほうれん草を目にして、とても欲しくなり、1束もらいました。綺麗に洗って、料理をし、できあがって食べようとしたとき、1本の汚い花柄の布切れがついているのに気が付きました。これは師父が私に悟らせておられるのだと分かりました。修煉者としては、人の物を勝手にもらってはならず、常人のような俗っぽい情を捨てなければなりません。

  法を得る前に、私の部屋にとても精巧で美しい、(1人の裸の女性が金色の時計を手に掲げている)工芸の電気スタンドがありました。私はその電気スタンドが大好きで、毎朝功を煉りに行くとき必ずその電気スタンドを見て出かけていました。ある日、私が煉功点から帰ってくると、その時計が止まっていることに気が付きました。なんと電池が一つなくなっていたのです。時計から電池を外したのは誰でしょうか? どんなに考えてみても、そういう人はいないはずです。言うまでもなく、それは師父が私に悟らせてくださっていたのです。修煉者としては、裸の女性の工芸品を持つことはいけないことです。私はその電気スタンドを片付けてすぐ法を勉強しました。本を開いて思わず師父の写真を見ました。師父は嬉しそうに私を見ておられました。当時私はとても幸せでした。

  1999年「7・20」のその日、政府へ陳情に行くため、私は他の同修7、8人と一緒に北京へ行く道を辿りました。私たちの共通の願望は、生きている限り必ず中南海に向かい、中央政府に事情を説明することでした。しかし途中で警官に止められ、私達は全員連行されました。夜になって私たちは地元の公安局に送られました。そのとき、私は恐れる心がなく、警官と論争しました。翌朝、家に帰って、5式の功法を煉っていたとき、流れてきた音楽はとても悲壮でした。私は涙がほろほろと流れ、心の中で師父に誓いました。「師父、私は分かりました。必ずしっかり行います。ご安心ください」 それ以来、私の修煉の決心はもっと強くなり、10年間の中で何度拘禁されたにしても、何度心の試練があったにしても、大法を修煉する心は動じませんでした。たまに屈服しようかという一念が生じても、すぐに自分が師父に誓ったことを思い出しました。このため、当然煉功を放棄する保証書を一回も書いたことがありません。

  二、師に手伝って法を正す

  この10年間、私は主として協調の仕事をしていました。2001年、私は責任者に協力していましたが、責任者が連行された後、私は自主的に現地の協調の仕事を担当しました。当時、資料点がまだ出来ておらず、邪悪も非常に荒れ狂っており、私は手に入れた1部、2部の経文や資料を夜コピー店へ持って行って高額でコピーした後、同修に渡しました。警察は個人のコピー店で常に嫌がらせをしていたため、夜もコピーができなくなりました。しかたなく、私は会社で1台の旧い謄写板を見つけ、自分で印刷し、時々現地の状況に応じて自分で資料を編集して配布しましたが、同じく衆生を救い済度、邪悪を抑制する作用がありました。その後、資料点が作られ、『共産党についての九つの論評』などの資料を作り始めました。

 2002年前半、私は重要人物として中国共産党に洗脳班まで連行された。私は他の1人の同修と共に毎日正念を発し、邪悪の一切の迫害に従わないと約束しました。洗脳班は6日後解散されました。私たちは歓喜心が起き、2日後家に帰れると思い込み、発正念も続けなくなり、結局、邪悪にまた『三書』を書かされました。どんな時にもでも「邪悪には従わない」と師父が教えてくださいましたから、私は絶対に書かず、毎回脅されても書きませんでした。私は法を暗記し続けました。私は師父の経文を思い出しました。「弟子として、魔難が訪れた時に、本当に平然として動じないでいられるか、異なる次元のあなたに対する異なった要求に符合するというところに心を置くことができれば、充分に関を乗り越えています」(『精進要旨』「道法」) 私は死を放下し、断食して抗議しようと決心しました。11日間、私は水も飲まず食べものも食べなかったので、邪悪は仕方なく無条件で私を釈放しました。

 私は真相を伝え、衆生を救い済度することを続けました。資料点は急速に発展し、現地や周辺の広い範囲に真相資料が配布できました。このような順調な状況が3年ぐらい続いた後、同修は歓喜心や仕事に執着心が起きました。資料点は多くなりましたが、同修は学法を疎かにしたため、同修の間、同修と協調者の間のトラブルがなかなか解決できなくなりました。このことに対して、私も文句が多くなり、焦り、活動に参加しなくなったあげく、邪悪に隙を突かれ、資料点が破壊され、私と数十人の同修は連行されました。留置場で2カ月近く拘禁され、師父の慈悲の保護の下で私は再び法を実証する道に戻りました。それまでの教訓を学び、自分で資金を用意し、改めて資料点を作りました。もちろん、これらのすべては実に師父がなさったことだと思います。現在、私は内に向けて探す宝を見つけました。毎日夜に、私は必ず一日のことを振り返ってみて、よくできなかったところ、法に従わないでやってしまったところを探し、完璧になるように経験や教訓から学んでいます。

   2009年3月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/9/196824.html