日本明慧
■印刷版   

北京:再び李津鵬さんに不法に5年の判決

(明慧日本)北京市の法輪功修煉者・李津鵬さんは、2007年12月16日「横断幕を掲げた」という理由で、北京市公安局海淀支局の警官に連行された。そして、2009年2月11日、海淀区裁判所に不法に5年の判決を言い渡された。李さんはこの不法な裁決に対して上訴した。家族も弁護士を雇い上訴し、現在第二段階に入っている。

 
李津鵬さん

李津鵬さん(42)は北京の人で大学卒業後、冷凍関係の会社を営んでいた。李さんは社員を平等に扱い、生活までも配慮した。仕事も親切丁寧に指導し、社員らには「貴兄」や「先生」と呼ばれていた。李さんは、昔の同級生の人達のことでも助けてやり、善良かつ豪快で責任感が強く、お兄さんと呼ばれていた。1996年に法輪功を修煉し始めた後、李さんは常に他人の面倒を見ながらサービスを提供した。そのため、学法チームでは最も善良な人として認められていた。

 2000年6月、李さんは紫竹院公園で煉功したため、不法に15日間拘禁された。その時の集団煉功には、北京工商大学の講師である趙欣さんもいた。趙欣さんが拷問を受けて死亡した事件は、海外のメディアで大きく報道されたことがある。

 2000年10月20日、李さんは法輪功の資料を印刷したという理由で、不法に6年の判決を言い渡された。李さんは刑務所で最も残酷な拷問を受け、身体に極度の障害を負った。

 2006年10月19日、刑期が満了し、釈放された李さんは多くの同級生に迎えられ、北京の自宅に帰った。当時(釈放される)という情報を得た同級生達は、何台かの車を運転して天津刑務所の出口に行き、李さんを迎えた。「我々は一番高級な車で善良なお兄さんを迎えなければならない!」と同級生達は語った。その場面は非常に感動的だった。

 2007年12月16日、「天が中共を滅ぼし、脱退したら平安となる」という横断幕を掲げたとの名目で、李さんは再び連行された。

 2008年1月21日、李さんは2年6カ月の労働教養刑を下された。李さんはこのような出鱈目な判決を認めず、抗議した。当局は恨みと恥ずかしさから怒り出し、李さんを不法に1年4カ月間拘禁した。その後李さんは、再度5年の判決を言い渡されたのである。

 李さんの家族は、不当な判決に対して弁護士を雇って上訴しており、現在、第二段階に入っている。

 (注):法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照

 2009年3月30日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/24/197722.html