迫害され路頭に迷い三年、再び拉致される
(明慧日本)河北省秦皇島撫寧県駐操営鎮義院口郷拿子峪村の法輪功修煉者・張鳳英さんは法輪功を修煉し、「真・善・忍」に基づいて良い人を目指していた。張さんは共産党による迫害を受け、その後、三年間も路頭に迷う生活を強いられた。張さんは、両足の筋肉収縮の病気を患っていた主人を看護するため、2008年12月1日に家に戻ったところ、待ち伏せしていた私服警官に拉致され、撫寧県留置所に収容された。
1999年から現在に至るまで、張鳳英さんは幾度も不法に拉致され、労働教養を強いられ、洗脳教育や家宅捜査などの迫害を受けて来たのである。また、多種の拷問を受けた。例えば「虎の椅子、縄締め、樹木に吊り下げる、電撃、灌食、平手打ち、殴る蹴る、薬物注射」などの迫害を受けて来た。心身ともに極限までダメージを受けた。そして、数千元の現金をもゆすられていた。
張鳳英さんの体はもともと貧弱で多くの病気を患い、日常生活は自立できない状態だった。気性の激しい性格で、決して相手を許すような人ではなかった。法輪功を修煉し始めてからは、長年彼女を苦しめてきた病気は瞬く間に治り、あんなに気性が激しかった彼女がとても穏やかになった。寛容で忍耐強くなり、譲り合う人間に変わったのである。
2005年3月1日午前、撫寧県国保大隊の悪辣な警官・如鴻喜、操営鎮派出所の藩維興、苗慧など9人は張鳳英さん宅に不法侵入し、強制的に家宅捜査した。その後、悪辣な警官は張鳳英さんを口と鼻から血が吹き出るほど殴打したうえ拉致した。そして、張さんの夫と息子まで連行した。二人に対して、誓約書を書かせたり、謝らせたりして夜中になってやっと二人を解放した。そして、当日は個人の所有財産まで持ち逃げした。
悪辣な警官・如鴻喜、藩維興、苗慧3人は、張鳳英さんが息を失うまで殴打し続けた。警官らは責任を負われるのを恐れ、病院で救急医療を施し、意識が戻った彼女を撫寧県留置所に送り、収容した。留置場で、他の法輪功修煉者の名前や所在を吐き出させるため、国保大隊、610弁公室(法輪功迫害の総指揮元)関係者は、毎日張さんに拷問を加えていた。家族に対しては「指示に従うよう説得しなければ、ハンスト中の彼女を強制的に灌食する」と、脅迫したのである。
二週間後、十日間の洗脳教育を行うため、彼女はある旅館に移された。警官らは、張さんを洗脳しながら家族に対しても脅迫を続けた。張さんの夫に対して「あいつをしゃべらせなければ五〜七年の服役刑にしてやる、そして旅館でのすべての費用はおまえが支払え」と言った。
その後、張鳳英さんが脱出に成功したが、家があっても戻ることができず、路頭に迷う生活を余儀なくされた。撫寧県610弁公室は警官に命令し、たびたび張鳳英さんの家族の私生活を妨害していた。
張さんの夫は精神的なストレスによって、両足の筋肉収縮という重病を患い、歩くことができなくなった。そのことを知った張鳳英さんは、自分の危険を顧みず、一早く家に戻った。しかし、彼女を待ち受けていたのは、待ち伏せしていた警官だった。拉致された張鳳英さんは撫寧県留置所に収容された。
撫寧県警察、検察、裁判所はグルになり、張鳳英さんに対して更なる迫害を企み、家族の面会も拒否し続けている。正月、周りの家族は楽しく祝っているのに、歩くこともできない張さんの夫は悔しい気持ちでいっぱいである。心身ともにあれほど好転した善良な妻が、何ら犯罪も犯していないのに、これほどひどい目に遭わされるのは不公平であり、残忍極まりない。
2009年4月1日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/13/195365.html)
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