日本明慧
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返本帰真への道


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)私は1998年に法輪功の修煉を始めました。10年来の度重なる魔難や苦労を経て、大法の中で法理を少しずつ悟りながら今日まで歩いてきました。身体が無病状態になったばかりでなく、博大で奥深い法理は私の内心を震撼させました。法を正す中での修煉過程を顧みると、世の中の異なる空間でも天地がひっくり返るほどの勢いでした。関を上手く乗り越えられた時は、神の一面が作用したわけで、乗り越えられなかった時は、心性が不十分で常人の中に陥ったからです。

 10年の修煉過程の中で様々な経験をしました。私は修煉者として内心へ向って探すことが一番重要だと思います。修煉者は如何なることに遭遇しても、神の一面から物事を考えるべきであり、人心で物事を理解しようとしてはいけません。正法を世に広めるこの時期は、師父と法の要求に従って行うべきです。例えば、1999年7.20より邪悪な中国共産党が大法の迫害を開始する以前は、大勢の人々がよく修煉をしていましたが、人心が残り、人間の観念を放下できない人は「常人の道」を歩きました。また、ある人は大法が中国共産党に誹謗中傷された時「大法を守るために」と言って敢えて北京へは行かず「これは常人の状態に合わせて修煉しているのではない」と認識したのです。ですから修煉者としては「修煉の中にどんなものであれ、人間のものを加えることは、極めて危険なことなのです」(『精進要旨』「根を掘る」)を覚えておくべきです。人の観念はあなたを向上させず、自分を駄目にしてしまいます。

 私が2回目に労働教養所から出所した時、「三退」のことを知りましたが、非常に困りました。他人に話しても聞き入れてくれず、甚だしきに至っては家族さえも「政治に参与しているのか?」、「修煉は修煉であり、脱党と何の関係があるのか?」と言って理解してくれませんでした。私は、師父が行わせることは間違いがなく、これは法を正す上で非常に重要なことであり、正法時期の大法弟子として行うべき事だと分かっています。しかし他人が聞こうともしないならばどうしたらよいのでしょうか? 私は「正法時期の大法弟子として行わなければならない。師父が要求された以上は必ず出来る!! 師父が按排してくださった関は、全ての大法弟子が乗り越えられる」と思いました。私は自分が「三退」のことに対して認識が足りないと思い、師父が「三退」に関して説かれた法と『九評』及び『党文化について』を多く学びました。学法を通じて、中共の存在は中国国内および世界各国の衆生の禍根であり、邪霊が衆生を滅しているのだと分かりました。修煉者の立場に立って衆生を救い済度し、衆生を邪霊から救うべきだと思いました。

 法輪功修煉者たちの心性が正しくなり、他人は私達が政治に参与するのではないかと恐怖を感じたのです。理解できない人々に遭ったら、私は平然とした態度で説明しました。真相を話す時は、純粋で善なる心で接すれば良い結果が得られます。最初は家族に話をしました。生活環境や社会活動の中で接触するいかなる人をも逃すことなく、1回目が駄目だったら2回目に詳しく説明することにより、家族や、親族、友達は徐々に三退しました。

 常人の中で修煉することは非常に難しいことです。常人の心に左右されて、おろかな事をし、三つのことをよく行うことができなくなります。三退を勧めた後で口を聞かなくなり、話すこともなくなりました。街ですれ違う人々は師父が按排された縁ある人たちであると分かっていますが、迷っていると、人は行き過ぎてタイミングを逃してしまいます。こんな時は気落ちして、自分が役立たずだと悔やみます。人の危急をみて救わないのと殺人との区別はないと分かっていましたが、なかなか突破できませんでした。ある期間、人と接触することが怖くて家にこもっていました。私はこんな状況を続けてはいけないと分かっていましたが、どうすることもできませんでした。

 こんな時期に、ある日突然「保険に加入しませんか」という電話がありました。本来ならば反感を持ちますが、私達には偶然なことはない、これは慈悲で偉大なる師父が私に突破する機会を与えてくださったのではないかと思いました。いずれにせよ、とりあえず行って見ようと考えました。それで私は外界と接触しようとする勇気が湧いてきました。私は多くの縁ある人と出会い、数十人の人を脱退させてあげました。その中の巧妙な按排に、私は師父の偉大さと大法弟子に対する慈悲なる配慮を感じとることができました。修煉者にとって偶然なことは何一つもなく、自然に従うべきだという事を悟りました。

 三退の経歴を省みると、よく行っていない時は、有為の心が障害となっており、多くの人心が現れています。この人は話しやすいとか、この人はどんな身分かと人を分別する心があり、面子を重んじる心もありました。後で心を落ち着かせて考えてみると、奥深くに隠れた嫉妬心もありました。このように多くの観念や人心に自分を緩めてしまい、真に修煉することができませんでした。

 後になって、私は「三退」は衆生を救い済度するためであり、その中で最も重要なことは、私達がさらに徹底的に実修して、人心を捨て去ることだと悟りました。『転法輪』の中の「伝え終えてから、師はさらに『君はたくさんの執着心を捨てなければならない。そのために行脚に出かけなさい』と彼に言います。行脚は非常に辛いことであり、社会の中で放浪しながら、物乞いをし、いろいろな人々に出会って、嘲られたり、罵られたり、いじめられたりして、どんなことにも遭遇する可能性があります。彼は自分が煉功者であることを常に心掛け、人との関係を正しく処理し、心性を守り、絶えず心性を向上させ、常人のいろいろな利益の誘惑にも心が動じません」と同じです。私達は真に人の一切の心を放下し、大法の要求に従って、真の神になるべきです。同修達よ、共に精進しましょう。

 2009年4月1日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/3/29/197931.html