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私は三つのことをしっかり行うことができるようになった

(明慧日本)最近、私は毎回『転法輪』を暗記する中で、自分が捨てられなかった深いところに隠れていた執着と自我を実証する心を見つけました。なぜ昔は見つけられなかったのでしょうか? 

 本当に嬉しい一方で恥ずかしく思います。嬉しいと思うのは、より多くの執着心が見つかったからで、恥ずかしいのはなぜ今頃になってやっと見つかったのかという事です。私は必ずこれらの執着を取り除こうと決心しました。

 法を暗記する中で心の容量も大きくなったことに気づきました。同修を見る時、彼らの優れた一面をすぐ発見できるようになりました。昔は同修の悪い一面しか見えず、トラブルもありました。今考えると、以前同修を怒ったりしたことがばかばかしく感じました。私は大きな執着と魔難を乗り越えて法を暗記し始めました。私はそのことについて書き出し、同修と交流したいと思います。

 私の最大の執着心は安逸な生活を求める心と、他人のために犠牲を払いたくない利己心です。自分が(手助けを必要とする人に)出会わなければ絶対に自分から積極的に人を手伝いません。また、名利心、嫉妬心、色欲などもあります。修煉を始めた後、怠惰の心があって「師父は学法を強調されたから、煉功は多くしなくてもいい」と考えました。他人を助けたくない私心もあり、「家にこもって法だけ学べば円満成就できる。世の中で苦を嘗める必要もなく、円満成就して天上で楽しく暮らせたらいい」と考えていました。

 だから、私は常に法を重んじているように見えて、実際は真に心を修めていませんでした。業力が身体全体に満ち、常人の心が頭に充満した状態で真に法を学ぶということはあり得ません。法を学ぶ目的が不純で、長い間法を学べば眠くなり、あるいは法を学ぶ時に心が乱れ、法を学べば他のことを考えたりして清浄な心で学法できませんでした。毎日せいぜい20ページくらいの『転法輪』を読み、思想業力と他の要素の邪魔もあって、心を落ち着かせて法を学ぶことはできず、内に向って探すことはさらにできませんでした。

 しかし、私はいつも「法を学ぶ」と話し、また記憶力が良いので師父のお話を覚えており、他人には、法を重んじているという印象を与えました。だからある同修は陰で、甚だしきに至っては面と向かって、「法を学ぶ、法を学ぶと常に言っているけど、まだこれくらいしか修煉できていないの? 自分の学法だけ考えるなんて、利己的だ」と言いました。私は「そんなに多く法を学んではいない、時間も多くない、でも大法を実証することはしている」と話しました。

 私は怖がる心が重くて、面と向って真相を伝えたくないと思っています。法をきちんと学ぶことで精進できると分かっており、修煉において精進しようと思うと、「法をきちんと学ぶだけで役に立つのか、師父は三つのことを全部良く行えば向上できると言われたが、自分は法ばかり学んでいるのではないか」という念が生じて、本もよく読めませんでした。

 そして、これは邪魔されているのだと認識できませんでした。師父は三つのことを良く行うべきだと説かれましたが、法を学ばないとはおっしゃいませんでした。実際に法を良く学ばなければ、心性も向上せず、法を実証するプロジェクトの中で、あるいは真相を伝える中で、やる気はあっても力不足を感じていました。私の怖がる心、利己心、自我に執着するなどの人心が、大法や同修との間を隔ててしまっていることに気づきました。

 法を学ぼうとすると、頭の中には「法ばかり学んではいけない、法を実証することを行うべきだ」という念が生じてくるので、本を放して、さて法を実証しようとする段になると、力不足になりました。その結果、法を良く学んでおらず、法を実証することも良く行えませんでした。さらに人心も捨て去り難く、このような状況が長い間続きました。

 その後、同修の法を暗記した後の体験を書いた文章をみて、私も法を暗記しようとしました。暗記するのは初めは遅かったのですが、次第に速くなりました。以前は本を持って学ぼうとすると、潜在意識の中には学びたくないという考えがあって、まるで学べないようにする物があるようで、甚だしきは頭も痛くなっていました。法を暗記することに深く入り込んでからは、法の中に溶けこんでいるのを感じました。

 法を暗記してから現在まで、法を実証することを次第に積極的に行えるようになりました。以前は、自分が円満成就できなくなるのが怖いという気持ちから行ってたのです。その後、周りの環境も次第に良くなりました。修煉しない家族も、私が法を実証することを邪魔しなくなりました。以前は、中共が悪いと言うと家族は怒り出し、甚だしきに至っては大法を罵って大きな業を作っていましたが、今では私が話す真相を聞き入れるようになりました。

 以上は最近の修煉体験で、間違ったところがあれば同修達の慈悲なる指摘をお願いします。

 2009年4月1日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/30/198067.html