■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/04/02/mh041634.html 



9年間の修煉の中で何度も乗り越えた難関

文/黒竜江省の大法弟子

(日本明慧)法を得てから今までもう9年経ちました。この9年間を振り返ると、一番心に残っているのは、私が難関を乗り越えた時に、師父の弟子に対する洪大な慈悲と、大法弟子全体の力が十分に現れた事です。同時に、修煉の道は本当に狭くて、少しでもずれてはいけないと悟りました。

 私は1999年1月中旬に修煉を始めましたが、修煉のきっかけと言うと、一つの物語があります。当時、私は胃の半分を切除する手術をしてから2ヶ月も経たない頃、私の娘(当時は修煉していない)が会社で仕事をしていた時、仕事を応援しに来たある大法弟子が私の娘のテーブルに小型テープレコーダーを置いて(彼女のテーブルの傍に電源の差込口がある)師父の説法録音を流しました。その時、私の娘はちょうど扁桃腺が炎症を起こしていて、口の中に薬を含みながら、パソコンに保存資料を入力していて、師父の説法をなんとなく聞いているような、聞いていないような感じで、知らぬ間に午前中が過ぎていきました。

 退勤時間になって、娘はなんと18組の資料を入力しましたが、疲れをまったく感じておらず、普段このようなことはなかったようです。そのうえ仕事が終わって帰る途中、外の景色はすべてが新しくなったように見えました。その時、彼女は非常に不思議に思い、早く家に帰って、この良い功法を重い病気にかかってずっと治らない母に紹介しようと思ったそうです。その時、隣近所に大法弟子がいて、私は娘のことを聞いた後すぐ隣近所の家に行って『転法輪』という本を借りてきて、飢え渇いているかのように本を読み始めました。その時、師父がおっしゃっていることはなんともっともで素晴らしいことだと感じ、なんで自分が法を得たのはこんなに遅かったのかと後悔しました。そして、私は娘と一緒に修煉を始めました。

 しばらく経たないうちに、師父は私の体を浄化してくださいました。胃と腰は張るように痛く、転び回るほどで、服が汗でびしょ濡れになりました。その時、私は肉親の情に邪魔され、悟性が悪く、心性を守れなくて、家族に病院へ送られました。医者は胃を切除した手術の後遺症・腸管癒着と胆嚢炎で、胃の傷口が癒合してからまだ胆嚢の手術をしなければならないと言いました。私はこの話を聞いて、これはなかなか終わらないと思って、一週間入院してからすぐ退院しました。家に帰って、私は師父の説法を聞いて、今回の難義を乗り越えられなくてすごく後悔しました。その時から、胃がたまに不具合(自分が初めて難義を超える時に耐えられず、師父は業力を分けて消してくださっているのだと今は思う)がありますが、それ以外はすべて正常です。毎年季節が変わる時に頭痛や咳の持病が出ていましたが、今ではまったく再発することはありません。

 1999年7.20、邪悪が大法を迫害してから、同修達は大法の真相を伝えるべきだと悟りました。そこで、私は同修達と一緒に真相資料を配り、真相のシールを貼り、真相の横断幕を掛けました。いくら寒い日にも関わらず、家に帰って来るといつも全身汗だらけでした。これは師父のご加持と私を励ましてくださっているのだと私は分かりました。2002年5月31日、私はまた同修と一緒に北京に真相を伝えに行きました。師父の慈悲なるご加護のもとで、無事順調に戻りました。

 数年来、私はずっと正法の進展に付いています。同時にまた2回の大きな病業の関門と1回の肉親の関門を乗り越えました。2005年ごろ(具体的な日時ははっきりと覚えていない)、私の胃はまた突然痛み始めました。その時は晩ご飯の後に、あまりにも痛くて、居ても立っても居られないぐらいでしたが、私は痛みが少しゆるむと正念を発して(心の中では病業の関門か邪悪の迫害かははっきり分からなかった)、一晩中胃は良くなったり悪くなったりしました。翌日、周りの同修は皆私に正念を発することを手伝いに来てくれて、一緒に法を学んで、そして私に師父をかたく信じるように、邪悪な迫害を認めないようにと励ましてくれました。同修たちによる助けのもとで、私はこの難儀を突破しました。2ヶ月も経たないうちに、私の胃はまた張るように痛くなり始めました。排出できず、吐くこともできず、その時の辛さはとても語れないほど辛くて、たちまち人心が生じてきました。心の中で、娘は私の苦しい様子を見ても全然構ってくれないと怨んで(実は娘は自分の子供を舞踊スクールに送って、また帰って来て私の面倒を見るつもり)、悔しい思いが生じてきて、娘がドアを閉じる音に従って私は声をはりあげて大泣きをしました。この時、胃はまた張るように痛みを始めましたが、私は振り向くと机の上にある師父の写真が見えました。師父は私と一緒におられるではないか、と思いました。そう考えると、胃の中で何かが上がってきて吐き出しそうになりました。私は急いで地面に置いていた小さいな容器に、とても黒いものを吐き出しました。吐いたものは容器の半分ぐらいありました(その日私は一食も食べておらず胃の中に何もなかった)。私は爪楊枝で吐いたものを少し取って見て、光に当てて見ると赤色で、当てていない時は黒色です。吐き出した後にすぐ全身が楽になったと感じ、すぐ元気になって、何にもなかったようになりました。私の涙は知らず知らず流れてきて、師父に感謝する思いを言葉で表すことはできませんでした。それから、私は本当に病気がない時の全身の軽い感覚を味わいました。正法の進展が前へ進むに従って、邪悪の暗い巣の近くで正念を発することでも、同修を救援することでも、法を実証する必要さえあれば、私は全て積極的に協力しやり遂げます。今までずっと家の事情で、大法のことを遅らせたことがありません。

 

 2006年正月17日、私の次男は交通事故で亡くなりました。突然やってきた訃報を、私はなかなか信じる勇気が出ませんでした。私の息子は普段大法に反対しないし、時にはまた真相資料を伝えることを手伝ってくれるし、しかも かつて加入した邪党の組織からも退出しました。どうしてこのような事が発生したのか? しばらくの間、私は強い肉親の情に覆い被せられて、息子の不幸に対して悲しくなり、泣いていました。その時、周りの同修はまた黙々と私を落ち着かせるように慰めて、師父の法理を用いて私を悟らせてくれました。私は頭が冷静になって師父の法理を思い出しました。「あなたは他人の生活に干渉し、他人の運命を左右することができるはずがありません。妻や子供、親、兄弟などのような家族の人たちの運命も含めて、他人の運命があなたの思い通りになることがありえるでしょうか?」(『転法輪』)「他人の運命を左右しようとしても、人間にはそれぞれ定められた運命があります!」(『転法輪』)私は修煉者ですので、名、利、情を取り除くべきで、肉親の情の中に陥って自力で抜け出せられませんでした。私は心の中で自分に聞きました。あなたはまだ修煉しますか?衆生を救い済度する事をまだしますか? 3日目の朝、私は立ち上がって煉功しました。私が第2セットの功法(法輪椿法)まだやった時、私の耳元で一つの声が鳴り響きました。「素晴らしい素材だ」私は驚きました。慈悲なる師父はまた私を励ましてくださいました。私の息子の葬式当日、長年会っていない息子の小さい時の友達に「三退」を勧めました。

 情の関門を突破したばかりで、また利益の関門が目の前に来ました。その時はなかなか察知できませんでした。息子が生きていた時、友達にお金を十数万元貸しましたが、息子が亡くなってから、おお金もなくなりました。彼の友達はいついつまでには必ずお金を返すと誓っていましたが、何ヶ月が過ぎ去っても、人影すら見えませんでした。私はじっとしていられなくて、電話をかけ始めました。息子の友達は最初、また私に適当に返事をしてお茶を濁していましたが、後になると電話さえ取ってくれなくなりました。私はとても腹が立ってむかむかして、牛の角に突っ込んでいるようえどうしても出られませんでした。娘が師父の法理で私を諭してくれましたが、私の状態は、良くなったり悪くなったりし、時に執着を放下したり、時に放下しなかったり、いつもこのように繰り返していました。結局、邪悪に隙に付け込まれ、体調が急に悪く感じ、全身の力がなくなり、頭から足まで皮膚はすべて黄色になって、白目さえ黄色を呈して、排除した小便もダイズ油の色のようになりました(常人から見ると急性黄疸性肝炎の病状)。その時、私は驚いて目を覚まし、自分がまた間違っていて、利益の中に陥ってしまったと突然認識しました。

 師父は法理をはっきり説いてくださいました。「しかし煉功者の場合は、本来、師の法身が守ってくれていますから、他人があなたのものを取ろうとしても取れません。ですからわれわれは自然に任せるように言っているのです。時に、それが自分のものだと思い、他の人もあなたのものだと言ってくれても、実際はあなたのものではない場合があります。あなたは自分のものだと思い込むかも知れませんが、最後になるとあなたのものでなくなります。その点から、そのことに対してあなたが無頓着でいられるかどうかを見ますが、無頓着でいられなければそれは執着心なので、この方法を用いて利益にこだわる心を取り除かなければならないのです。そういうことです。」(『転法輪』)なぜ私は肝要な時にこんなに意気地がないのでしょうか。やはりふだんの学法がしっかりできていませんでした。娘は、今回の教訓を受けて、転んだらまた立ち上がろうと励ましてくれました。私は邪悪の迫害を認めない、間違いがあっても師父の法理に従って正すべきだと思いました。このようにして3日後、私は正常に回復しました。

 私達は、この残った最後の僅かな時間の中で厳粛に修煉し、大法弟子がするべきことの三つのことをしっかりと行い、真修の大法弟子となり、師父の恩を無にしないようにしましょう。合掌。

 2009年4月2日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/30/198052.html

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