■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/04/05/mh062532.html 



心の内部へ向かって探し自分を修めれば、希望が見えてくる

文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)9年間、法輪大法の修煉の道を歩んで、いろいろありましたが、なんとなく今日までたどり着きました。振り返ってみると、よくできていないときは内部へ向かって探していなかったからであったと気づきました。発正念についても、師父は何度も説法で発正念の重要性を言われました。初めて発正念をするとき、手を立てると崩れてしまい、同修に目を開いたまま発正念をするように勧められましたが、大した効果は見られませんでした。集団学法するときや発正念をするとき、集中できず、妨害が続きました。同修と交流したら、どこかに漏れがあるからだと言われました。そして真剣に心の内部へ向かって探し出し、たくさんの執着心を見つけることが出来ました。ある執着はとても強烈に現れ、同修の中でとても目立ちました。多くの日常生活の中で形成した観念と雑念、思想業力はとても多く、発正念をするときの落ち着かない原因になっていました。これらの執着心をまだ捨てていなかったため、旧勢力がこれを言い訳として迫害をしました。それ以外に顕示心と歓喜心などの良くない心が修煉の中で現れてきました。

  真相を伝えるとき、1日に何人も脱退させると、これを喜んで、顕示心が現れ、脱退を勧めるのはそんなに難しくない、1日1人に勧めれば、1カ月に30人も脱退させることができると思い込みました。この心が現れた後、脱退の効果は下がり、数日、また十数日も1人の人すら脱退させることができなくなりました。ただちに内部へ向かって探して、顕示心を発見し、これを捨てようと努めました。師父が説法で次のようにおっしゃいました。「顕示心にさらに歓喜心が加わると、魔の心に最も利用されやすいのです」(『精進要旨』「定論」)

  他に、家族にやさしく接することなく怒ってしまうのは、実際は慈悲心を修めていないからです。私の妻は1999年の7月20日以前に修煉を始め、迫害が始まってから修煉をあきらめました。何度も説得しましたが、彼女はどうしても修煉しないというのです。そして彼女の腰に骨質増殖が現れ、病院で手術をしてもらいましたが完全に治らなかったのです。もう一度修煉するようにと説得しましたが、説得すればするほど彼女は嫌がるのです。このとき師父が『転法輪』で話されたことを思い出しました。「あなたは他人の生活に干渉し、他人の運命を左右することができるはずがありません。妻や子供、親、兄弟などのような家族の人たちの運命も含めて、他人の運命があなたの思う通りになり得るでしょうか?」 この文を読んだとき、心の中で結構落ち着きました。

  たくさんの執着心を探し当て、それを克服し続け、正念を持って除去しました。発正念をするときに妨害が少なくなり、毎回発正念をするとき強い熱いエネルギーが全身を通るのを感じ、手を立てても崩れることもなくなりました。三つのことをやり遂げる中で、一時期学法を放棄したことで、各種の妨害が現れ、学法のときぼんやりして、邪悪の妨害と迫害を受けました。2008年7月、村の2人の同修が真相を伝えるとき、通報され、公安局に連行され、数10人の警察が2人の家を不法に家宅捜査して、家にある小銭さえ奪い、まるで土匪のようでした。パトカーが来たり行ったりして、そして2台のパトカーが7〜8人の警官を乗せて村にきて、調査をしました。この事件に対して同修たちは協力し合い、強い発正念で同修を助け、また同修の家族に公安局に不法逮捕した同修の釈放を要求するように勧めました。警官らははじめ1〜2千元を出せば釈放すると言ったので、早く釈放させたいからお金を出しました。しかし警官はさらにオリンピックが終わったら釈放すると言い出しました。この迫害を拒否するために、そのころ、みんなは発正念の回数を増やし、正念を強くし、全力で同修を迫害する邪悪を除去することに努め、巨大な正念の下で、拘禁されて半月も経たない内に家に戻れたのです。

  この2人の同修を助ける中で、ある女性が恐怖心を抱き、とても心配になり、村にいた警官が彼女の家で嫌がらせをしました。これは邪悪が彼女の恐怖心という弱みをつかんだことに気づき、彼女とし交流し、恐怖心を捨てるようと説得し、一緒に発正念をして、邪悪を除去しまた。2日目、警官らは全員撤退し、もう妨害しに来なくなったのです。

  私たちの正念が強ければ、邪悪は迫害をすることができないのです。現在邪悪はすでに存在を維持する力がなくなりましたが、弱みを掴んで妨害してくるのです。この9年間、最も大きな反省は内心へ向かって探さなかったことです、学法と煉功が修煉であると勘違いし、心の底から変えようとしなかったのです。師父は説法で次のように語られました、「事々く対照し 做すところ到るは是れ修」(『洪吟』「実修」) 学法して修煉する中で、大法に従ってものごとを考え、問題に遭ったら内心へ向かって探せば、本当に柳暗花明だと感じました。正法はもうすぐ終盤を迎えます。この貴重な時間にたくさん法を学び、絶えず自分を修煉して心性を向上させ、師父の正法に遅れないように、精進している同修に習い、自分の不足を探し、大法で自分の思考を正し、行為を正し、真の修煉者になります。

 誤っているところがあれば、同修達の慈悲なる指摘をお願いします。合掌

  2009年4月5日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/3/15/197175.html

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