妨害が現れたときは内に向けて探す
文/中国大陸の大法弟子
(明慧日本)7月14日の早朝、私は正念を発し終えてから、同修である母に発正念の応援を頼んで、自宅付近で真相資料を配布するために出かけました。残念ながらこの日は祭日で、近所の人々はそれぞれ玄関で焼香していて、真相資料を配布することができませんでした。仕方なく家に戻り母に事情を説明したところ、母は「実はあなたが出かけたとき、犬の吼える声が聞こえ、真相資料の配布が上手くいかないのではないかと思ってしまいました」と言いました。話を聞いた私は、母に対して「人心」で物事を考えていると指摘しましたが、そこで母と口論になりました。昼過ぎに、早朝に配布出来なかった資料を配ろうと出かけました。夕方、家に戻ろうとしたとき、母親から電話がかかり、「警察が家の近くで資料を配布した人を探しているようなので、危険だから家に戻らないように」と言われました。私達一家は危険を避けるために、別の場所で数日間を過ごしました。
この出来事について、内に向けて探したとき、多くの執着心を見つけました。「闘争心」、「恨む心」、「自分を実証する心」、そして、「自分が頼んだ通りに動いてくれない心」などがあったのです。これらの執着心はすべて自己中心の考えから生じたのです。中でも特に、闘争心がもたらした危害についてお話したいと思います。
私と母は修煉する前から、よく口論していました。お互いに目障りだと思っていたようで、常人の言葉で言うと「仲が悪すぎる」ということです。相前後して法輪大法を修煉し始めたのですが、口論の回数は減りましたが、やはり時には強く口論してしまうのです。私の悟りでは、これは旧勢力が故意に修煉者同士の壁を作ったのです。最後になればなるほど、修煉者に対する要求も高くなり、私達の間の矛盾が大きくなりました。
私は以前、何回か迫害されたことがありますが、全てが口論した後に迫害を受けたのです。その当時は、旧勢力が按排した壁と妨害だと悟ることができず、邪悪に隙を与えてしまいました。実は邪悪が最も恐れているのは、大法弟子がどんなことに対しても、お互いに協調し合うことです。だからこそ、師父はいつも弟子に対して「協調」するようにと、繰り返し言われたのです。後日、同修と一緒に学法したとき、この件について交流しました。ある同修は事の原因について、適切なアドバイスをしてくれました。それは、「自分の意見を人に無理やり押し付けようとするから、そうなる」ということです。同修の話を聞いて、私ははっと悟りました。その通りで、何事においても人が受け入れることができるかどうかを考えず、自分の思い通りに従ってもらい、人をコントロールしようとしているのです。これも邪悪な共産党文化の一つで「闘う」ということです。この交流を通じて、私達は根本的に旧勢力の按排と妨害を否定することができました。
今回の出来事で、改めて「協調」の重要性を認識することができました。この特別な時期に母と家族になれたのも、同修になれたのも、一緒に正法の道を歩めるのも、どれたけの機縁で結ばれたからでしょうか、それを大切にしなければならないと思います。師父に心配をおかけしないためにも、邪悪に乗じる隙を与えないためにも、この執着心を取り除き、正法の道を迷わず邁進しなければなりません。
正法時期の大法弟子は、師父がいつも傍にいて見守って下さっています。大法の中で未来の新しい生命を得たのですから、これより貴重なことがあるでしょうか? 修煉の道を正しく歩めない理由、お互いに協調できない理由は何一つとして存在しないのです。今思えば恥ずかしくてなりません。わずかな執着心、それは魔性として表れてきたのであって、大法を真に修煉する弟子にとっては取り除けないような執着心ではないと思います。
最近の修煉過程における、少しばかりの悟りで、同じ執着心に妨害されている同修が難の中から目醒め、損失を少なくしてほしいとの願いから、交流文を書きました。
2009年4月8日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/9/1/185120.html)
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