日本明慧
■印刷版   

因縁関係を見通し、慈悲をもって夫の家族を救い済度する


文/黒龍江省の大法弟子

(明慧日本)一、修煉前の夫の家族との恩讐

 私は中国大陸の大法弟子で、今年46歳です。22歳の時に結婚しましたが、当時、夫の家は大家族で、舅、姑、義理の姉と2人の義理の妹がいました。姑は学歴がなく、いつも他の人を見くびっており、皮肉っていました。夫は家庭内のことには一切関わろうとしない人でした。子供が生まれて、家の外で雨水で夫と子供の洗濯物をしていると、風に当たり、それから体中が痛み、後にまた心筋炎、心臓病、ノイローゼを患い、長年薬を飲んで、注射を打つ日々が続きました。

 夫の家では、食事の時に誰がどれだけ食べたのか、姑はいつも見ていました。例を挙げると、子供がまだ母乳を飲んでいた頃のある日、わたしは茶碗2杯のご飯を食べました。しばらくして外に働きに出るとき姑は、私がご飯だけたくさん食べて働かないといって怒り出しました。私はすぐさま子供を姑に預けて、外に出て働きました。お昼が近づき、家に入って姑に昼ごはんに何を作るのかと聞くと、姑は厳しい声で言うのでした。「あなたは朝あんなに食べたのに、昼も食べようとするのか?」またあるとき、私はすでに2日病気で寝込んでおり、食事も作れないままでした。姑は、「どうしたのかい? 腹が減ってご飯を作りにきたのかい? ここではご飯を作らないんだったら、食べることは考えないでちょうだい」と言いました。

 その後、常に病気を患う私を見て、姑は夫を唆して私と離婚させようとしましたが、夫は聞き入れませんでした。こんな状態で一生過ごすのも苦痛なので、私も離婚したほうがいいかもしれないと思いました。しかし、考えて見ると自分は身体も弱いし、自殺も考えましたが、子供がまだ小さく、また心筋炎を患っていたので、あえて死ぬこともできませんでした。後にまた出家しようとまで思ったこともありました。

 二、幸いにも法輪大法に出会い、恩讐を解決する

 ちょうどそのとき(1996年初)、私は幸いにも法輪大法にめぐり会い、人間が生きている目的は返本帰真のためであることが分かりました。師父と大法は私を苦しみから救い出し、私の壊れた家庭にも再び生気を与えてくれました。大法を学ぶことにより、私の心の悩みが解けました。疾患はすべて消え、体が軽くなり、心性も徐々に向上し、家では文句一つ言わないで働き、大法の要求に基づいて良い人になるよう自分自身を修めました。

  しかし、幸せな日々は長くありませんでした。1999年7月より弾圧が始まり、法輪功の修煉が禁止されました。私は師父に対する恩を返したい一心で、また私のように苦しみの中で喘いでいる人々が大法によって救われることを望み、北京に行き、私の真実の状況を報告しましたが、結果北京の警察に逮捕され、地元に送還され、不法に監禁されました。私の地元の警察は修煉しないという保証書に署名し、5千元の罰金を払わないと釈放しないといい、署名しないと労働教養処分を言い渡すと言いました。私は署名をしなかったので、何度も不法に監禁されました。

 その期間中、舅と姑は黙ってはいませんでした。舅は某局の元秘書であり定年退職していたので、文化大革命の時のように彼の次男(某企業の共産党書記)と、2人の孫(派出所の警官)が連座させられることを恐れていました。私が保証書を書かないと、息子が将来大学に行くのも、軍隊に行くのも難しいというのです。姑は夫に離婚するように責め、夫に新しい相手まで探しており、家中がひっくり返っていました。ちょうどそのとき、姑が脳萎縮で倒れ、大金を使い救急措置で命を取り止めました。姑は寝たきりになり、大小便もベッドの上でする始末になり、2人の嫁は誰も面倒を見ようともしませんでした。

 そのとき、私は半年間の不法監禁から釈放され、家に帰り、自然と姑の面倒を見ることになりました。姑はすぐ快方に向かい、自立できるようになり、何でも自分でできるようになりました。そのとき、私と夫は市場で商売を始め、そちらで寝泊まりすることになりました。舅は私たちに内緒で夫の名義の家を売ってしまいました。舅はそのお金でアパートを購入し、それを自分の名義にしました。

 ある日、私が商売をしているところに数台のパトカーが現れ、警察は私が指名手配されているある同修と往来しているといい、私のところを資料点と決めつけ、家中をひっくり返しました。大家にも3千元の罰金を命じました。大家は怖くなり、私に部屋を貸すのをやめてしまい、商売もできなくなってしまいました。住むところもなく、他の才能もないので、一時的に仕事を見つけることもできませんでした。それに高校に通う息子もいました。舅は、姑が死なない限り帰って来ないでほしいとまで言いました。舅は月300元で自分の娘に家事を頼みました。私は仕方なく実家の援助で部屋を借りました。後に私は月300元くらいの収入で働きましたが、それでは全然足りず、また実家から援助してもらっていました。

 1年が過ぎ、ある日私と夫は舅と姑に会いに行きました。2人は、私たちに戻ってくるようにと言いました。娘は毎日彼らを怒らせ、もういい加減我慢できないので、私たち夫婦に面倒をみてもらえたら、2年は長生きできるというのでした。このようにして、私はこの大家族を救い済度しようという願いを持って再び戻ってくることになりました。

 三、修煉の道を正しく歩み、夫の家族を救い済度する

 初めのころ、私が舅と姑に大法のすばらしさを話すと、いつも罵られました。姑は、「あなたのせいで私がこのようになったではないか。この家もこんな状態になったではないか。あなただけがご利益をもらい、私たちを苦しめようというのか」と言うのでした。姑が一時的に真相を受け入れないので、ゆっくり話すことにしました。

 私が家庭の中で良く行い、姑は気分がいいときには「私は毎月娘にお金を渡しているのに、どうして娘はちゃんとやってくれないのかな?」と聞いてきます。私は、「妹は体が良くないからでしょう。私も修煉していないときは病気がちで、私も家事をちゃんとこなすことができなかったのです」と慰めてあげました。

 私は定期的に姑に散髪をしてあげていました。ある日、浴槽にお湯を張り、姑は足を入れるや否や熱いというのでした。私は、これは温水だから熱くないといいましたが、姑は気分を損ねました。そのとき舅が一言「お母さんが熱いと言ったら、熱い」というのでした。普段私がよく行っているときも、姑はこれもだめ、あれもだめと、いつもけちをつけていました。時には夫に、私がここの家に住みたがらないからどこかに連れて行け、とまで言うときもありました。

 私は、修煉してこんなに長いのに、家でも文句一つも言わないで黙々と家事をこなしているのに、どうしてまだこのようなのかと理解できず、心の中で師父に言いました。「師父! 私は本当に理解できません、自分が作った業力をこんなに返しても、まだだめなのでしょうか?」

 その翌日、ついに私は見ることができました。ある一世、私は貴婦人で、姑はそのとき私の使用人でした。姑は仕事があまりできず、私は彼女を見くびっていました。ある日、私たちが食事をしていて、使用人たちはそばに立って見ていました。私は食事を済ませ、わざと姑に食事をする時間もあげず、出かけるよう命じました。私は駕籠の中に座っており、姑はご飯も食べていないまま駕籠の後ろについているのが見えました。

 これで因縁関係が分かりました。私は、今は法を正す時期で、単純な個人修煉の時期とは違うので、このようにするのは老人に業力を作らせることになるのではと思いました。しかし、どうして普段発正念をしても効果がないのでしょうか。本当に内に向けてよく探してみないといけません。ここ数年来、私の思想の中には老人に対して良くない観念と見方が形成されていたのでした。これではいけないのです。私は正念を発してこれらの良くない観念と見方を除去しました。「私は神だ! これらの観念は旧勢力が強制的に私に加えたものであり、私はそれらを除去する!」

 それ以来、姑がけちをつけると、「私は神だ、他人のためを思い、善をもって人に接する。私は善を以ってすべてを溶かす」と、自分に言い聞かせました。すると姑はぼうっとして私を眺めるのでした。私がまさかそのように対処するとは思いもしなかったのです。このようなことが数回ありました。それ以来、姑がわざとけちをつけることはなくなりました。今の私は、家で滅多に心が動じることなく、静かにいることができます。

 振り返ってみると、今生は前世で作った借りを返しているのであって、恨むことは何一つもないのです。世の中のすべてが業の報いの繰り返しなのです。幸い、姑は今「大法好(法輪大法はすばらしい)」と唱えており、家族の30〜40人もみな大法のすばらしさを認めており、「三退」を済ませ、救われました。

 師父の慈悲なる済度に感謝いたします。師父は私のように業力の大きい弟子を修煉に導いてくださり、私の家族も救ってくださいました。

  2009年4月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/7/198536.html