日本明慧
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ついに見つけた!

(明慧日本)子供を迎えに行く人がいないので、私は仕事をやめて子供の面倒をみることになりました。法をたくさん学び、もう仕事を探すことはしないと決めました。夫の給料に頼れば、少し厳しくても私たち3人家族は生活していけるのです。しかし姑と夫の妹はとても焦り、電話で仕事が見つかったかと尋ねてくるので、私はいいのが見つからないといつも言い訳をしていました。

 ある日、夫の妹が家にやってきて、私たちはしばらく激しい言い争いになってしまい、彼女は私に仕事を押し付けようとし、私はそれに抵抗しようと徹底的に努めましたが、一向におさまりませんでした。私は「どう生活するかを私に指図するより、自分の家のことをよく行えばいい」と思いました。夫の妹は口論をやめませんでしたが、どうしても私を説得できないのを見ると、他の話に切り替え、徐々に落ち着いてきました。

 夫の妹が帰った後に、私は怒りがこみ上げ、「姑と夫の妹はいつも私の思い通りにならず、いつも面倒を起こし、仕事をしなさいと私を落ち着かせない。はぁー! 争いたければよそでやればいいのに。私は、あなたのようにお金を重んじない。もし仕事をして、忙しくなったら、どうやって三つのことをよく行えるのか? もし次元が落ちたらどうするの? 最後になって、多くの同修は仕事をやめているではないか?」と思いました。

 このように考えながら、突然ある考えが浮かびました。本当は仕事をしたら修煉が遅れると私は恐れているのではないのか? もしくは修煉を言い訳にして仕事をしたくないのではないか? なぜ仕事をしたくないのか? 社会に接触したくなく、常人がお互いに傷つけあい、もくろむことに接触したくない、現実を避け、社会を避け、問題や矛盾を避けたいからです。なるほど! これが本当に仕事を探したくない理由でした。

 私は比較的まじめな人間で、いわゆる常人がいうところのバカ正直者です。仕事や恋愛、友情において、かつて深く傷つけられたことがあるため、世の人々に対して大きな怨恨が生じ、傷付けられることを非常に強く恐れる心が生じました。私は他人と少しでも仲良しになると感動するのですが、冷遇され、ののしられると何日も悲しくなるのです。私に対して他人の態度がよくないと、報復しようとは思いませんが、彼らに幸運が訪れないよう強く願うのです。何か起こることをいつも警戒して、他の人が何を企んでいるのかと最悪なことを先に考えました。顔が優しそうな人、年齢が上の人と一緒にいると信頼できるのです。こうして毎日行き当たりばったり過ごしている中で、大法の修煉に入りました。

 今になって、大法の修煉を続けたことは根本的に私のためであったことを発見しました。実際、私は傷つけられるのを避け、傷付けられることの少ない生活を求めていたのです。なぜ大法の中でいつも修煉しているようで修煉しないのか、それは真に修煉していないからなのです。修煉を言い訳にして仕事を探さないのは、最後の大きな災難が到来するのを避けているからです。私に対して態度の良くない人、私が傷付けられるのを見て冷ややかに思う人、利己的な人、真相を伝えても信じてもらえない人が淘汰され、その光景を見ながら、私は身を外に置き、最後には、彼らが自業自得に陥り、後悔するのを見届けてやろうと思っていました。どんなにか邪悪な私心、復讐心であることか、魔となんの変わりがあるでしょうか?

 実際をいうと仕事の問題ではなく、自分が真に修煉するかどうかの問題なのでした。真に修煉すれば何ものも妨害することはできないのです。自分がずっとこのように外に向かって求め、逃避し、さらには汚い心で、師父がこの世のすべて良くないことを変えてくださり、よりよい生活ができる時を待っていたのです。大法の中で、今日は次元の向上を求め、明日は若くなることを求めて、大法を利用して利己心のための目的に達しようとしていたのです。このようにいつまで利己心のため求めるのでしょうか? 師父はずっと慈悲に私に機会を与え、私が悟り目覚めるのを待っておられました。私は10年間違っていました。これを機にこれから真に修煉しなければなりません。

 この観念を変え、私心で偏狭で頑固な考えを放棄すべきです。本当は人生の道はそれぞれ違い、苦しみを味わう経験は業力に由来するのです。なぜ他人を憎むのでしょうか? 人はこの世に楽に生きてゆけず、作ったあらゆる業力は償われなければなりません。私は心にある恐怖、不平、恨み、報復を放棄したことがなく、利己心と冷淡さのため他人を思いやることがなく、法を心の中に置いたことがなかったのです。これを書き、自分の汚い心を暴露することによって、これを取り除き、以前とは違って、真に大法に従って自分を指導し、真の修煉者になろうと思います。

 2009年4月15日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/4/11/198756.html