人心を放下し、さらにしっかりと法を実証する
(明慧日本)私は1995年に、初めて『転法輪』を拝読しました。半ば読み終わった時、これは私がずっと探していた法門だと思いました。そして、大法弟子の一員になり、今日までもう10年以上経ちました。良くできていない部分がありましたが、大法と離れたことはありません。そして、大法に従って自ら律し、徐々に成熟してきました。修煉の道を振り返って、修煉体験を書こうと思います。不適当なところがあれば慈悲をもってご指摘ください。
一、協調
1999年7.20以後、形勢が変わったため、一部の協調責任者は外に出ておらず、私は自発的に連絡などを担当しました。当時の圧力は極めて大きく、ただ師父と大法を信じて、大法弟子として自発的に責任を負うべきだと思いました。
1999年9月、私は積極的にわが地区の小型法会(迫害が始まってから初めての法会)に参加しました。法会で多くの同修は北京へ行って法を実証すべきだと分かるようになりました。私はもう2回北京を訪ねましたが、何をするのかも知らず、ただ大法を守ろうと思い、他の同修に落伍しないようにという人心もありました。ですから、3回目に北京を訪ねた時(9月末)、もちろん純粋な目的ではなく、どうせ捕まるだろうなどとさまざまな不純な要素が混じっていましたので、結局、私は2000年10月に3度目の強制連行に遭い、留置場に拘留されました。そこで長期間の迫害を受け、人心も多くなってきました。しかし、学法の強化と同修の援助で、私はやっと今日まで歩んできました。
その後、私はよく各学法グループに参加し、同修と互いに励まし合い、法を正す時期の修煉と個人修煉の区別が分かるようになりました。自分でもたくさんの小型法会を手配しました。
初めて真相資料を配った時、同修の意見はさまざまでした。私はある同修と切磋琢磨し合い、まず少数の同修と一緒に配り始め、そして同じ地区でも同日に配ることにしました。したがって、多くの衆生は真相が分かるようになりました。同修たちも真相を伝える重要性が分かり、自発的に真相を伝え、資料を配るなど大法を実証する活動に参加し始めました。このようにして、わが地区で真相を伝えることが良くできるようになりました。
当時、私は多少の事をやりましたが、無理な心理状態と理性的でない要素がありました。そのため、常人の形式で大法を保護することがあったため、真相を伝えることに不利をもたらしました。ひいては自分の観念を堅持し、同修の意見と違う場合にはよく気分を害しました。本気で同修の事に関心をもたず、不平を言うばかりで同修の不足を拡大し、自分の不足を当たり障りのないようにしました。
その後、全ての同修は大法の中で修煉し、修煉の道で歩んでいる神であり、各自の作用を発揮していることを私は認識しました。自分の包容心を強化すると同時に、同修への観念を放下しました。協調する時、全て大法を基本にしました。同修と違う意見があっても、互いに内に向けて探し、自己を放下し、一致できるようになり、修煉の環境もよくなって、多くの衆生を救い済度しました。もちろん、これはすべて同修と共に精進した結果なのです。
二、仕事
私の仕事はよく変わり、真相を伝えることに便利な条件をもたらしました。私は1999年7.20から自発的に真相を伝え始めました。その後、系統的にさまざまな場で真相を伝えました。もちろん、最初は理性的でない要素もありました。例えば2000年、私は二つの中学校を訪ね、各学年各組まで「法輪大法は素晴らしい」と伝えましたが、真相を理解していない教師に通報されました。師父のご加護のおかげで、無事に家に帰りました。
仕事においても、いろいろなトラブルがありましたが、私は大法をもって自らを律し、多くの常人は私への観念を変えました。ひいては2006年度と2007年度、私は会社から「先進工作者」に選ばれ、栄誉証書を授与されました。私が法輪功修煉者であることを分かった上で、それでも栄誉証書を授与してくれたのは、皆が大法弟子のすばらしさを認めたからだと思います。
その他、私は毎日、政府、町内、派出所などで正念を集中して発し続いています。これも私の責任で、やるべきことだと思います。
師父の按排で多くの衆生を救い済度することができ、心から感謝いたします。
2009年4月16日
(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/4/4/198365.html)
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