日本明慧
■印刷版   

本当に内に向かって探す


文/大陸大法弟子

(明慧日本) ある同修は「内に向かって探す」と言っていますが、しかし、未だ本当に内に向かって探していません。ある時は、とても浅い面だけ探していました。師父は何度も私達に内に向かって探すことを強調されました。間違った時にはすべて内に向かって無条件に自分の過ちを探さなければなりません。数日前見たある同修の交流文章に「内に向かって探せば、他の空間の邪悪を抑制できます。」とありました。

  少し前、様々な原因で私と親戚はトラブルを起こしていました。常人の理で見るとその親戚はとても悪く、他の何人かの親戚も彼を非難していました。私の心の中も憤慨しており、穏やかになれませんでした。彼とは言い争いをしておらず、忍が出来ているように見えましたが、私は彼が間違っており、私に対して悪いことをしたといつも思っていました。心を静めてよく考えて見ると、この事に遭うのは偶然ではありません。大法弟子が常人とトラブルに遭ったら、大法弟子が100%悪いという法理を我々は皆分かっています。

  表面で正しいかどうかを判断するのではなく、自分のどこが間違っていたかを探さなければなりません。私は彼に対して、慈悲心が足りないという原因を見つけました。私が彼に真相を徹底的に説明していないため、彼は「三退」をしましたが、未だ邪党の本質がわかっておらず、本当に大法の素晴らしさを未だ分かっていません。彼には傍に大法弟子がいるから福があり、大法弟子は彼の救われる唯一の望みだとわかっていません。彼は大法に対して不敬なことをするのが罪になるとは思っていません。私は彼に対して、真相を伝えることが足りず、彼に対して責任を持っていませんでした。チャンスがあれば、私は必ず穏やかに、はっきりと徹底的に真相を説明し、本当に彼が救われるようにします。

  ある同修は年下の人と矛盾を起こすと、いつも年下の人が親孝行をしないと責めていて、自分の過ちを探すことを放棄しています。ある同修は長期間病業につきまとわれても、自分で内に向かって探しません。ある同修は同修と交流できなくなったら、更に自分に向かって探さず、酷く迫害されても、捕まえられてもまだ自分で内に向かって探しません。このように内に向かって探さない例はたくさんあります。私達はなぜ更に一歩進んで法を多く学ばず、更に少し深く根本的に原因を探さず、更に少し自分を放下し、自分の内に向かって探さないのでしょうか?

  私が感じたのは「法を多く学んで、本当に法の中で修め、本当に他人の長所を見、自分の足りないところを探したら天地が広がります。心をぱっと開くことができ、気持ちがのびのびとし、あのように抑えることがなくなります。苦悩がなければ、あのような物質もなくなって、楽に感じる。」ということです。

  不適切なところがあれば、慈悲なる指摘をお願いいたします。

  2009年4月17日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/13/198896.html